鳥肌が立つ本

花のさかりは地下道で

2月に横手に出張したとき手に入れ(→2/18条)、この一冊だけですっかり気をよくした色川武大さんの短篇集『花のさかりは地下道で』*1(文春文庫)を我慢ならず読んでしまった。
繰り返し書いていることだが、わたしは色川さんの『うらおもて人生録』(新潮文庫)を信奉し人生の指針とするものである。生き方を真似しようとは思わないし、もとより真似するほどの胆力を持ち合わせていない。学校教育というレールを途中から外れ、「無頼」「フーテン」「グレる」という道に深く踏み込んだ色川さんの波乱の人生経験を背景に語り出される処世訓や人間観察の鋭さに、自分にない(できない)ものへの憧れを抱いてしまう。
言葉にできない、言葉にならないと表現されている少年時代の色川さんのグレようについては、本書収録の12篇のなかで事細かに回想されている。本書ではそうした時期に出会った人びとの生き方が、色川さん一流の距離をおいたまなざしで冷静に切りとられ、文章として結実している。
無頼の生活を送り上野の地下道などを浮浪していた頃に出会った人びとのことだから、もちろん安定した職業を持ち、家庭を持つような庶民ではない。収録作の「善人ハム」のなかに、「肉屋は肉を売る人、豆腐屋は豆腐を売る人、という機能でしか眺められていないような気がする。これは知識人が庶民を眺めるときも同じ図式で、職業のパターンでわけるか、或いは風俗的にしか眺めない。姓名に代表されるような個性的なものは、背広にネクタイをつけた人種にしか認めていないようである」(76頁)とあるが、本書に登場するのはそうした「背広にネクタイをつけた人種」以外の人間たちということになる。その意味では、代表作『怪しい来客簿』(文春文庫・角川文庫)にも通じる味わいを持った短編集だと言える。
底辺に生きる人びとに対して暖かなまなざしを向けるというのではない。だからといって突き放したように冷たいのでもない。これはそのおりの人間関係の築き方とも関係するのだろうが、つかず離れず絶妙な間合いで、形容矛盾だが「懸命に生きる世捨て人」のような人びとを描き切る。文章の一節一節があまりに犀利なため、どの短篇を読むのでも、冷たく鋭い刃を喉元にあてられたようなゾクゾクする感覚にとらわれ、鳥肌が立った。
たとえば、「同年」で描かれる、小学校時代に口を聞いたことはないが強い関心を持っていたという「池田くん」という同級生に対する関心のありどころはこう書かれる。

今考えてみるに、結局、彼のどういう部分に強くひかれていたのかはっきりしない。身体は軟らかかったけれど、華奢な美しさはなく、町場で売っている駄菓子のようにごわごわしていた。にもかかわらず、単なる素朴でなく、一種の洗練があった。そうした洗練は、当時、たとえば教師の口などから表立って語られたことのないものであった。そのへんだろうか。もうひとつ、圧勝する力に乏しいが、いかにも人間として当然と思えるガッツがあった。(119-20頁)
他者に対する捉えがたい関心のありかをこのように見事に文章で表現する、そんな色川さんの文章力と、そこから伝わる人間観察力、描かれた「池田くん」の人となりに鳥肌が立つのである。
けれども、ラジオの子供の声が耳に入っている途中で、いきなり涙がどっと湧いてくることがある。しゃべっている言葉の内容とは関係ない。いかにも健やかそうな、伸びやかな子供の声というものに弱い。私の父親が六十の坂を越えてからやはりそうであった。
 それから、誰かと誰かが、少しでも理解しあったというような場合、涙が出てくる。ことの大小とは関係がない。それは、堪えるというような余裕がなくて、気がついたときは滂沱と流れている。(「泥」、140頁)
こんな文章を読んで、山口瞳さんの文章の雰囲気と似ているなあと思い、鳥肌が立ってくる。
私は自分の在りようというものに対して、攻めていくことをしない男である。それは劣等感として、いつも深く胸の中にある。にもかかわらず、自分が他の筋道らしきものに乗りかかったりすると非常な抵抗を覚える。結局のところ、自分の地所に満ち足りておらずとも、他のどんな所に移りたいとも思わない。(「鍵」、255頁)
こんな一節を目にして、自分との共通点を見つけたような気がして嬉しくなり、鳥肌が立ってくる。色川さんとの共通点などというと、人生の厚みがまったく違うからおこがましいにもほどがあるのだが、やはり「この人についてゆこう」という気にさせられるのである。
『怪しい来客簿』は幻想的短篇が多いという印象で、当初はその点に惹かれて買い求め、読んだ気がする。本書でも「赤い灯」や「幻について」「鍵」など、そんな種類に分類してもいいたぐいの短篇があるが、そこに漂う幻想味はあくまで現実的体験と地続きのものであり、色川さんはそこを売りに書いているわけではないことがわかる。やはりあらためて『怪しい来客簿』を読み返そうという気持ちが高まってきた。