映画と名言

名画座時代

阿奈井文彦さんの新著名画座時代―消えた映画館を探して』*1岩波書店)がとうとう出たので、「待ってました」とばかり、さっそく読んだ。
本書はカタログハウスが出している通販雑誌『通販生活』の連載をまとめたものである。同誌は季刊ということもあり、2002年から2005年までと連載期間は長い。わが家ではたぶんそれ以前から同誌を定期購読しているはずなのだが、阿奈井さんの連載に注目しだしたのは後半にさしかかってからだったと思う。自分の映画に対する関心の高まりによって、連載がアンテナにひっかかったということだろう。最終回で岩波書店からの単行本化が予告されてから、首を長くして待っていた本だった。
本書は昭和30年代の映画黄金時代を経、現在に至る衰退期、さらに町の小さな映画館を呑み込む巨大なシネコンの登場という荒波により閉鎖に追い込まれた「消えた映画館」の関係者を訪ね歩き、その思い出や関係者の映画への偏愛を記録した聞き書きで、そこに著者阿奈井さんの映画遍歴が重ね合わされている。インタビューを受けた人びとの映画に対する思い、阿奈井さんご本人の映画への思いが興奮の度合いが高いものであるのと対照的に、語られる対象のほとんどがすでになくなって記憶のなかにしか存在しないものだから、ノスタルジーのなかに興奮がよみがえる、外は冷たく中が熱いという面白い味わいの本となっている。
本書で取り上げられているのは、池袋の人世坐、新宿の日活名画座、神楽坂の佳作座、渋谷の東急名画座までは東京の映画館で、そのあとは前橋、門司、松山、沖縄、福岡、浦河、広島、京都、倉敷といった地方の町の映画館が取り上げられている。
わたしは前述のように連載の後半あたりから注目しだし、とはいえ隅から隅まで読んでいたわけでなく、本になったら読みたいから、楽しみはあとにとっておこうと斜め読みしただけだったので、連載のコンセプトは、「消えた映画館」という空間を軸に、その映画館と地方都市の社会的な関わりを歴史的に捉えた読み物と思い、大きな期待を寄せていた。
ところが最初から通読してみると、これは後半だけしか知らないわたしの勝手な予断であることがわかった。もっとも、黄金時代には繁華街のいたるところにおびただしく存在した映画館が、時間が経つにつれ一つ減り二つ減りしてゆくところに地方都市の衰勢を映し出すというおもむきがまったくないわけではない。松山編や浦河編、門司編、広島編などまさにそんな色合いがある。
ただむしろ本書は、名画座に関わった人びとに対するインタビューを通じ、映画の素晴らしさ、映画館という空間の素晴らしさ、そこで映画を観たという記憶を持ち続けることの素晴らしさを読者に訴える、直球勝負の本であり、映画を愛する人の口から語られる映画に対する言葉の結晶が、ひとつひとつ胸に強く響いてくるのだった。
映画に由来する名言は多いけれども、映画を愛する人が映画について語るとき、えてして名言が多く生まれるようである。

「映画はやはりフィルムです。ビデオとはまったく質感がちがう。暗がりで見るスクリーンの美男美女に惹きこまれる。それにお客さんが大勢入ると、見知らぬ同士が一緒に泣いたり笑ったりして、映画が二倍も三倍も面白くなるんです」(149頁)
「映画を見ない人生より、見る人生の方が豊かです」(165頁)
「ぼくは常々思ってるんだけど、映画館は貧者のパラダイス。経済的に貧しかったり精神的に貧しかったり、そんな人へ、二、三時間、夢を見てもらう。そうじゃないかな」(197頁)
最後に著者阿奈井さんによる名言。
映画と映画館は表裏一体をなし、書物の中身とカバーの装幀のように、密接で切り離せない。(107頁)
衛星放送とDVDのおかげでたくさんの映画に接することができるようになったが、やはり映画は映画館で観るのが一番だと、遅ればせながら感じるようになったわたしである。