探偵小説の合作・リレー

空中紳士

昨日も引用したが、連句個人主義文学と共同体の文学との相克」(「歌仙早わかり」での丸谷発言)のなかに位置づけることには、二つの意味があるだろう。西欧の文学とわが国の文学の違いという比較文学的視点、および、わが国における前近代までの文学と近代文学の違いという文学史的視点である。
安東次男さんも、「むかし」の文学空間においては、歌合・次韻・連句・唱和といった「詩の在り方を信じて疑わない心」があったことを指摘する。これは文学史的視点に直結するものだ。
以下論を文学史的視点に絞ってこれを単純に言えば、明治以後の近現代文学においては、創作行為は個人主義的になり、共同体的文学は姿を消したと理解できる。そこで近現代文学のなかで、こうした共同作業的営みはなされていないのか、『とくとく歌仙』を読みながら考えに及んだ。
座談のなかで、丸谷才一さんは連句「合作で長篇小説を書いてる」(102頁)と表現する。いっぽう井上ひさしさんと丸谷さんの間では「小説で連句のようなのはできないでしょうね」「小説はちょっと難しいでしょうね」(132頁)というやりとりが交わされた。
もちろんそれぞれの意味合いは異なる。後者のやりとりは、リレー小説のような形式を念頭に置いているとおぼしい。となるとここで思い出したのは、探偵小説における「リレー小説」であり、「合作小説」の存在だった。近現代文学でもないわけではないじゃないか、と。
探偵小説(推理小説)の場合、その性質からして事件編・解決編に分けることが可能であり、それぞれを別な作家が担当するというリレーはよく行なわれる趣向であろう。しかしながら戦前においては、より細分化したリレー小説の試みがなされただけでなく、合作して一つの長篇を創作する試みも行なわれた。言うまでもなくわたしは、直接的には江戸川乱歩がからんだそれらの試みを念頭においている。
大正15年、乱歩はこの年なかなか小説が書けず苦しんでいた。そのとき『新青年』編集長森下雨村が提案したのがリレー小説で、乱歩は発端となる第一回を執筆した。つづけて平林初之輔森下雨村甲賀三郎国枝史郎小酒井不木が書きつぎ、『五階の窓』という長篇ができあがる。
さらに昭和2年、乱歩は断筆宣言をして諸国放浪の旅に出る。このスランプを慮った先輩小酒井不木は、当時同じ名古屋に住んでいた国枝史郎とはかり合作結社「耽綺社」を結成、乱歩を誘い込む。その後耽綺社には土師清二・長谷川伸平山蘆江も加わり、リレーではなく6人で話し合いながら一つの作品を創りあげるという試みを行なう。
この間の経緯は、乱歩の自伝『探偵小説四十年1』*1講談社江戸川乱歩推理文庫53)に詳しい。耽綺社に不木が乱歩を誘ったときの手紙には「連作は尻取りですからいけません」とあったという。この不木の発想を乱歩は「諸雑誌の合作流行」「昔の浄瑠璃作者の合作や、デュマの弟子達による合作から思いつかれたのでもあったろう」と忖度している(前掲書「合作組合「耽綺社」」)。
乱歩の頭には、耽綺社の試みから連句を連想することがなかったことがわかる。デュマの名前が出ているが、これは合作というより「小説工房」的なシステムではなかろうか。それはともかく当時日本で「合作流行」という状況があったことは興味深い。探偵小説におけるリレー小説や合作という試みが、いずれも乱歩のスランプから生まれたというのはなかなか面白い話である。
ところで乱歩が絡んだ合作・リレー小説は、乱歩が不可解な謎をちりばめる発端部を書くのがうまいということで、だいたい第一回目を任されることが多かった。乱歩執筆部分については没後の全集などにも収録されてきたが、いまから約10年ほど前(1993年〜94年)、乱歩生誕100年を記念して、ゆかりの春陽堂から他の執筆者の分と一緒にひとつの作品として文庫化されたのは、ファンにとってありがたい出来事だった。
春陽文庫から刊行されたのは、乱歩が絡んだリレー小説の7冊と、耽綺社によって発表された合作3冊である。すべて買ったつもりでいたが、リレー小説のうち『女妖 付・大江戸怪物団』のみ買い漏らしている。現在ほとんど品切になっている状態なので、買っておけばよかったと悔やむ。以下リストである。

錚々たるメンバーが名前を連ねているとはいえ、リレー小説や合作にはやはり無理があったらしく、評判になるほどの面白さを持った作品はない。わたしもマニアックな関心から持っていることで満足してしまい、ほとんど読んでいない。唯一読んだ記憶がおぼろげながらあるのは、耽綺社の合作『空中紳士』だ。
本書は、まだ仙台に住んでいた頃、とある学校に就職面接に訪れた帰りの高速バス車中で読んだように記憶している。その学校は『蝉しぐれ』をはじめとする藤沢周平作品の舞台となった「海坂藩」の町にあった。読んだ記憶すらかくも曖昧だから、内容などすっかり忘れている。それよりも、本書を久しぶりに手にとって、もしあのときの面接で採用され、海坂藩の町に暮らしていたら、いまごろ自分はどうなっていただろうなという思いにかられる。
まあそれはどうでもいい。なお、その後春陽文庫では、乱歩に絡んだこれまた得がたい作品を刊行してくれた。耽綺社の筆記者でもあった博文館編集者岡戸武平が乱歩名義で書いた代作『蠢く触手』*2と、乱歩と正史の合作『覆面の佳人―或は『女妖』』*3だ。『蠢く触手』のほうは読んだはずで、乱歩の通俗物に通じた面白さがあった(実際そういう意図で書かれたのだから当たり前)。
そういえば、坂口安吾没後中絶していた『復員殺人事件』を高木彬光が書きついだ例もある。案外ミステリ界においては「共同制作」的な営みはあまり抵抗がなく受け入れられたようである。