受け身の文学、あるいは火葬場文学

井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまど

木山捷平「最晩年」(カバー裏の紹介文より)の文集井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまど』*1講談社文芸文庫)を読み終えた。
去年7月に読んだ『下駄にふる雨/月桂樹/赤い靴下』*2講談社文芸文庫、→2004/7/29条)のほうはたんに「晩年」とだけあったが、こちらも亡くなるまでの10年間に書かれた作品を収めているから、「最」のあるなしでそう変わらない。
ちなみに本書収録の12編は、昭和31年9月から昭和43年3月までに発表された作品である(著者は昭和43年8月没)。小説10篇は年代順に配列されているが、先輩友人のポルトレ2篇「太宰治」「井伏鱒二」は別に最後に置かれている。この2篇は、木山の「ぶっとんだ」小説に慣れている目で読むときわめて端正な、淡い味わいの佳品で、文士仲間との間の暖かい交遊が透けて見える。
いま書いたように、やはり木山捷平作品と言えば、とぼけたユーモア、突拍子もない翔んだ味わいを期待してしまう。『下駄にふる雨/月桂樹/赤い靴下』の感想でも書いたが、主人公夫婦(=木山夫婦)のおかしな会話を読むのも楽しい。いちいちここではあげないが、本書収録の諸篇でも、読みながら思わず吹き出してしまうような夫婦の会話が多くあった。
「ぶっとび度」ということで言えば、冒頭の「骨さがし」に指を屈する。これまたひどく風変わりな小説だった。
ある日主人公の「私」の家に見ず知らずの女が訪ねてくる。女は広島の廿日市から上京し、そのまま「私」の家に来たという。用件を聞くと、夫が戦死したものの遺骨が帰らず気持ちが落ちつかなかったのだが、東京に遺骨を売る店があると聞いて、彼を頼って上京したという。なぜ「私」に頼ってきたのか、はっきりしない。しかも遺骨を買えば納得するのかという説明もない。このあたりの非論理性は木山作品の真骨頂だ。
遺骨を売る店が「田」のつく所にあるという話を聞き、戸惑いながらも彼女をともない一緒に探し歩いてしまうのだからすごい。神田までの切符を買いながら、気が変わって飯田橋で降りるところも「想定外」。
そこから、遺骨がありそうな気がした(!)靖国神社に入り、境内にいたカイゼル髭の老人に遺骨が売られていないものか訊ねてしまう突飛さにも恐れ入る。さらに老人に教わって神田須田町(「田」がある)にある闇屋を訪ね、遺骨が売られていないか聞いたところ、その店の人間から不吉だと怒鳴られ、尾てい骨を蹴り上げられて塩を撒かれ、外に引きずり出されてしまう。
それでありながら、なお「しかし、まだ望みなきにしも非ずです。どこか簡単なところで休憩して、再出発することにしましょうか」と、なお親切にも探してあげようとする執念。この突拍子のなさはいったい何事だろう。
それにくらべると、旅行のおりの体験をもとにした「鼠ヶ関」「朱い実」「山陰」あたりはおとなしい。満州時代に一緒だった女の子と出会う「苦いお茶」もそうだが、木山捷平の文学は、取材旅行のように自ら打って出るより、誰かと出会ったり、誰かが訪ねてきたり、そんな受け身の出発点をもつ作品にとてつもない面白さが秘められているような気がする。
本書所収の「釘」は、あの「軽石」と同じ月に発表された作品である。解説の岩阪恵子さんが指摘しているが、表裏の関係、陰と陽の関係にあると言ってよい。岩阪さんは「軽石」を「日向」、「釘」を「日陰」とする。
このなかで特筆されるのは、自宅屋根の修理のさいに、瓦を止めておく細木を燃やして出てきた古釘を磁石で拾い集めているうち釘に執着をもった主人公が、友人の訃報に接し火葬に参列したさい、火葬場の従業員が棺に打たれてあった燃え残りの釘を集める手さばきに思わず嫉妬するというシーンだろう。

骸骨の上を走りまわる磁石が、黒こげになった釘を一本残らず吸いよせるあざやかな手さばきを見ながら、正介の胸に何かわけの分からぬ嫉妬のようなものが湧き出た。(233頁)
正介の嫉視に感づいたのか、あるいはたんなる正介の思い込みにすぎないのか、お骨あげの場所を訊ねた正介を凝視した従業員に「明らかに敵を意識しているかのような眼付」を読み取ってしまう。火葬場という死の空間を相対化してしまうような強靱なユーモア。
木山にはほかに、「去年今年」「赤い靴下」という火葬場が登場する佳品もある。もし“火葬場文学”というジャンルがあるなら、上の二つに「釘」を加え、木山捷平をその第一人者としたいくらいである。