不惑であれ古稀であれ

狂気の沙汰も金次第

筒井康隆さんの山藤章二挿絵・夕刊フジ連載エッセイ集『狂気の沙汰も金次第』*1新潮文庫)を読み終えた。夕刊フジ連載の順番からいえば梶山季之山口瞳に次いで三作目、私が読んだ順番でいえば山口・吉行に次いで、これまた三作目となる。筒井さんは1933年(昭和8)生まれで、この連載は73年だから、ちょうど40歳のときの作品ということになる。若いのだ。
この連載で山藤さんは、筒井さんの似顔絵を描くにあたり、髪型と顔の輪郭は書くものの、原則として目鼻は描かない。のっぺらぼうである。第一回目のイラストに、

当方、かねてより、美男、美女の顔の描写を苦手としているので、今シリーズは目、ハナを入れません。よって表情のほうは、よろしくご推察ください。
という「絵師前白」が書き込まれている。
最近筒井さんの新刊『笑犬樓の逆襲』*2(新潮社)が刊行された。このカバーイラストも山藤さんで、やはり目鼻口が描かれていない。ところが山藤さんのすごいところは、同じのっぺらぼうなのに、40歳のそれとは明らかに違い年をとった70歳ののっぺらぼうになっているところ。
イラストばかりを褒めていては著者に失礼だ。さすが40歳、気鋭のSF作家らしい機知に富む、また毒舌満開のエッセイ集となっている。のちに断筆宣言で世間を騒がせることになる作家らしく、表現の規制など意に介さぬ脱線ぶり。現在では憚られるのではないかという危険な文章表現で押しまくっている。先日ある新刊書店で本書がいまだに現役であることを知った。私の持っている版(1980年15刷)から改版もなく、もちろんイラストもそのままなのが嬉しい。
あふれる毒のなかでも、“悪食シリーズ”とでもいうべき、人の目を背けさせる露悪をきわめた一連の文章が、読みながら気持ち悪くなりながらも、筒井さんらしくて好きだ。
「大便」では、大便を皿にのせ、ナイフとフォークで切断した体験を語る。「大便の切断面が、あんなにうまそうに見えるとは思わなかった。切断面はだいたいにおいてスポンジ状である。そして切断面を見てはじめて、大便の中にはじつにさまざまなものが混入していることを知った。そしてまた、まことに美しいことをも知った」
さらに「痰壺」では、駅のプラットホームなどで平気で痰をペッと吐く人間に対し、罰として近くにある痰壺(いまでは痰壺など駅にないかもしれない)を呑ませようと提案する。そして痰の「おいしさ」をこう紹介する。
まず、老人の白眼を思わせるどろどろと濁った青痰がすばらしい。最初はちゅるちゅると、透明感のある塩味のきいた液体がのどを通る。それからずるりっ、と、生ガキのような感触の青痰が、ひたかたまりになってのどを通り抜けるのである。甘ったるいような、辛いような、酸っぱいような、鉄錆びの味に似た独特のうまさである。(90頁)
グルメ記事の逆をゆく、ある意味「名文」と言えよう。でも引用しながら食欲が減退してきたので、もうよす。
タイトルもそのもの「悪食」という一文では、象の肉、台湾ハブの肉、毛虫食い体験についてこれでもかと書き連ねる。
ショートショートのような気の利いたオチがあり、山藤さんのイラストもそれに見事に共鳴している「証拠」のような小品があったり、筒井さんの戦中体験談が多く語られていることから自伝的要素を読み取ることができたり、千変万化のエッセイ集で、さすがこのシリーズはハズレがない。