第63 目白ウキウキ散歩

目白

この一週間、私には珍しく気を抜く暇がなくあくせくとしていた。昨日土曜日も抜き差しならない所用で一日中拘束され、屈託していた。だから今日は家で本でも読みながら一日ゆっくり休もうと思っていたのだけれど、先日郵便学者内藤陽介さんからご案内をいただいた目白の「切手の博物館」での展示「もうひとつの昭和戦史 切手と戦争展」が今日までということを知り、慌てて駆けつけたのである。
そういう次第で、でかけるまでは足が重かったのだけれども、一歩外に出ると雲ひとつない青空が頭上に広がっていて、やはり外出して良かったと気分が軽くなった。
内藤さんが副館長を務める切手の博物館は、目白駅を出て学習院大学のほうに向かい、学習院まで行かずすぐ右に折れ、山手線などの線路と学習院の間の道を南に進んだ先にある。神田川に向かい土地が低くなっていく、だらだら坂を下った途中に建物があった。手前には都営バスの転回所(バスの向きを変えるターンテーブルがある)を見つけた。
目白駅の駅舎は数年前に新しくなったが、駅は線路の上にあり、エスカレーターを上りきってから改札までの広々とした空間がとても心地よい。上野駅のエントランスを小さくしたような感じ。
さてこの展示は近著『切手と戦争―もうひとつの昭和戦史』*1新潮新書、→2004/11/25条)にちなんだもので、同書で紹介されていた切手・封筒などの実物が展示されている。内藤さんも会場にいらしていて、いろいろとご説明をいただいた。同書を読んで疑問に思っていた郵便資料類の蒐集方法についても教えていただき、疑問が晴れた。
小さな切手に顔を近づけ、目を凝らして眺めていると、切手という紙片に凝縮された技術の粋を感じることができる。切手(ひいては郵政)は国力が如実にあらわれるメディアであるのだ。私が思っていた以上に訪れる人が多く、熱気が伝わってくる。
切手博物館のある目白を訪れるからには、ブックオフ目白駅前店は欠かせない。これまで二、三度訪れたことがあるが、ここは質が高いのだ。そのクオリティが低下するどころか、ますます向上していることを今日確認した。このところブックオフは単行本の帯を外さなくなったが、ここ目白駅前店では、文庫本(105円のものまで)まで帯を残している。しかも小口を削らない。それがことのほか嬉しい。今日はそのうえ月末セールで単行本全品500円均一になっていた。そこでささやかな収穫があった(下記参照)。
ところで目白には前々から歩いてみたいと思っていたスポットがあった。学習院の向かい側、川村学園の裏手から池袋駅にかけて広がる住宅密集地である。この地域への関心は中井英夫の『虚無への供物』による。殺人事件の舞台となる氷沼家がこのあたりの住宅地に設定されているのだ。
去年読み返したとき(→2004/2/29条)からずっとこのあたりを歩きたいと思いつつ果たせないできたが、一年足らず経ってようやく実現した。
2004/2/29条でも引用したが、いま一度『虚無への供物』の当該部分を引用してみよう。

国電目白駅を出て、駅前の大通りを千歳橋の方角に向うと、右側には学習院の塀堤が長く続いているばかりだが、左は川村女学院から目白署と並び、その裏手一帯は、遠く池袋駅を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっている。この斜面だけは運よく戦災にも会わなかったので、戦前の古い住宅がひしめくように建てこみ、その間を狭い路地が前後気ままに入り組んで、古い東京の面影を忍ばせるが、土地慣れぬ者には、まるで迷路へまぎれこんだような錯覚を抱かせるに違いない。行き止りかと思う道が、急に狭い降り坂となって、ふいに大通りへぬけたり、三叉に別れた道が、意味もなくすぐにまた一本になったりして、それを丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が蔽うという具合だが、豊島区目白町二丁目千六百**番地の氷沼家は、丁度その自然の迷路の中心の当る部分に建てられていた。(創元ライブラリ版、42-43頁)
実際歩いてみると、路地は車一台がようやく通ることができる狭さで、ところどころ行き止まりがあるような迷路めいたおもむきがあるものの、建て込んでいる家々が新しくなっているためか、『虚無への供物』の文章からかもし出される雰囲気よりはいくぶん明るい印象で、殺人事件によってさらに暗鬱なイメージが加わる氷沼家があるような界隈ではなかった。
北を目指して路地を歩き、住宅地を抜けると広い明治通りにぶつかる。このあたりに出てくることも事前に計画ずみで、そこ―南池袋―には古書往来座があるのだ。切手の博物館ブックオフ−目白二丁目と歩いた浮かれ気分の散歩を締めくくるのは、これまた質の高い本が揃うこの古本屋しかないだろう。期待どおり収穫もあって、ホクホク気分で帰途についた。
これから帰宅するという電話を妻に入れたら、「声が明るいから収穫があったな」と見破られてしまった。普段どおりに話していたつもりだったが、昂揚した気分が意図せず声にあらわれてしまったらしい。こんなウキウキ気分の散歩をするきっかけを与えてくれた内藤さんに感謝申し上げなければならない。