私小説作家としての小林信彦

袋小路の休日

先月上旬、小林信彦さんの連作短篇集『袋小路の休日』講談社文芸文庫に入るという情報を得たとき、正直「しまった」と思った。
それほど熱心な小林信彦読みではなかったので、私がこの本の存在を知ったのはこの本の中公文庫版*1と出会ったときである。一昨年7月、柏の古本屋にて800円で購入した。すでにその頃は小林さんの東京論や「人生は五十一から」などのコラム集を好んで読むようになっていたから、「こんな作品集が中公文庫に入っていたのか」という新鮮な嬉しさで、800円という値段は気にならなかった。
その後中公文庫版が入手困難の部類に属する本であることを知り、ちょっぴり嬉しくなった。でもこれが逆にいけなかったのかもしれない。その時点で無意識に読むことを放棄したに違いない。時々書棚から取り出してなでさすってはみるものの、読むまでには至らない。
そこにきて講談社文芸文庫*2での再刊である。坪内祐三さんが解説、しかも参考資料として中公文庫版の色川武大さんによる解説まで付いた。著者の自筆年譜も著作目録も至便だ。買わないわけにはいかないし、読まないわけにはいかない。
本書は上村宏という雑文書きが主人公である。ラジオやテレビの台本執筆にも携わり、雑誌編集者の経歴ももつ。作者自身がモデルであることは明白である。私は小林さんの小説といえば、『ちはやふる奥の細道』とか、『ぼくたちの好きな戦争』『怪物がめざめる夜』のような作り込まれた作品が好きだ。それに比べれば、抑えた筆致で著しく私小説的である。
小林さんは本作品を私小説として書いたのだろうか。別な言い方をすれば、私小説と受け取ることは許されるのだろうか。坪内さんははっきりと私小説と書いている。講談社文芸文庫版の「あとがき」に相当する「著者から読者へ」には、こんな一節がある。

この人物を〈作家〉に設定すると、一観察者としての役をはみ出して、困った問題がおこる。私小説であるぼくが、ぼくにとって苦手な短篇を書くためには、〈周囲に逆らわずに雑文を書いている男〉を狂言まわしにした方がいい――と、考えたのである。(太字は原文では傍点)
本人は「非私小説家」であることを強調し、それはわかるのだけれど、どうもこのあたりの説明がすんなり飲み込めなかった。そこで中公文庫版の「あとがき」(講談社文芸文庫版には未収録)を見てみると、こんな記述があった。
この人物(主人公―引用者注)を〈作家〉に設定すると、観察者としての役をはみ出し、厄介な問題が起るのである。私小説作家の場合は、〈わたし〉と設定して、無言のうちに、イコール作者自身という了解が読者とのあいだに成立するのだが、私小説作家である私の場合、内的な手続きがそうはいかないのであった。(太字同前)
「内的な手続き」というからには、作者と読者の外面的な了解ということでなく、小林さん自身の問題であることが読み取れる。自分の経験を直接の材料としてはいるものの、自分は私小説作家でないから、私小説という方法で表現できない。ストレートにそう解釈すればいいのか、もしくは、「非私小説作家」に私小説を拒否するニュアンスを読み取っていいのか。前者のように理解するとなれば、上記の「ぼくにとって苦手な短篇」というのは、短篇が苦手ということでなく、私小説が苦手という意味になるのだろう。それが内的な手続きの問題なのか。
結局、『ぼくたちの好きな戦争』にせよ『怪物がめざめる夜』にせよ、未読だがたぶん『夢の砦』も、そして小説でなくそのもの自伝である『和菓子屋の息子』に至るまで、小林さんは、私小説的題材を私小説的にではなく、手を変え品を変え変奏しながら作品を創りあげてきたことになる。いわば「自己のパロディ」のあらゆるパターンを実験的に試みてきたのである。誤解を恐れずに言えば、稀有な方法論をもった前衛的私小説作家なのだ。
収録7篇のうち好きなのは「路面電車」と「街」路面電車の、都電の駅から鬼子母神に向かう道の描写「かつては門前町であったろうことを偲ばせる、寂れて、脱色されたようにみえる町並が、続いていた」という一節にうなった。ひとつの街の変貌を淡々と「観察」する「街」はスリラーである。
「根岸映画村」を読んで、モデルは前田陽一監督のことかと気づいた。先日三百人劇場渋谷実前田陽一作品特集があったさい、ふじたさん(id:foujita)が前田監督・中原弓彦(=小林信彦)脚本の「進め!ジャガーズ 敵前上陸」を観たいとおっしゃっていたが、私はそれほど心を動かされなかった。けれども「根岸映画村」ではこの映画のことが詳しく書かれていて、中公文庫版をもっと早く読んでいれば、私もきっと観たいと思ったろうにと臍をかんだ。
解説の坪内祐三さんの文章は相変わらずすばらしい。本書の仕掛け人で『海』編集長だった塙嘉彦氏の急逝に関連して、
三月とはいうものの肌寒い雨が降る日、大学の同級生に頼まれて彼と二人で彼の妹が受験したある専門学校の合格発表を見に行く京浜急行の車内で『海』の一九八〇年四月号を読んだ午後のことを、私は今でもよく憶えている。(301頁)
というパラグラフなど、本との出会いの記憶を大事にする坪内さんの独擅場である。
なお、講談社文芸文庫版の書影は左にAmazon提供のものが出るだろうから、ここでは中公文庫版のそれを掲げた。平野甲賀さんによるカバー装幀が忘れ去られるのはもったいない気がしたので。