信楽町の謎

東京の昔

東京に移り住んで6年が過ぎた。この間ずっと再読の機会をうかがっていた本があった。吉田健一『東京の昔』*1(中公文庫)である。今回ようやく再読することがかなった。
過去の日記を検してみると、読んだのは約13年前の1991年8月26日。仙台の本屋でこの中公文庫版がなかなか見つからず、上京の機会に神田の三省堂書店でとうとう見つけ、「さすが東京の大書店は違う」と東京への憧れをつのらせたのだった。
さて初読のおりどんな感想を抱いたか。

吉田健一『東京の昔』読了。酒席、食事の描写が絶品で、そこに最も生彩があったと思う。又、時間・空間の拡がりをそれぞれ一点に収斂、凝縮し、そこにある普遍的な世界を展開しているところに新鮮味を感ず。(…)私の嗜好に反して、筋らしい筋のない小説なのだが、なぜか惹きつけられるものがあるのだ。
「時間・空間の拡がりをそれぞれ一点に収斂、凝縮し、そこにある普遍的な世界を展開している」などとなかなか気どったことを書いていて恥ずかしいが、まあいい線を突いているのではないだろうか。
などと13年経った今ですら、この本の良さを真に理解しているかといえば、はなはだ心もとない。1930年代東京の雰囲気、銀座の落ち着き、麻布の緑、そして本郷の路地、砂利道からたつ砂埃や雨が降ったあとの湿気のにおい、そんな「都会」の馥郁たる文化の香気高い小説を堪能した。
以前書友モシキさんと一緒に訪れた東大農学部前のおでん屋「呑喜」を思わせるたたずまいのおでん屋甚兵衛で繰り広げられる余裕のある会話。主人公と、彼が間借りしている家の近くにある自転車屋の勘さん、甚兵衛で出会った帝大仏文の学生古木君、勘さんと古木君に資金を提供するパトロン川本さんらが酌み交わす燗酒やワインの酔いが読みながらこちらにも伝わってしばしうっとりとする。
併し前に言った夜泣き蕎麦の笛も聞えれば路地の向うの道を電車も通り、暫くは何の音もしなくて沈黙に浸っている思いをしている時にこういう音が聞えて来る方が車がただやたらに煩さいよりも遙かに都会の真中にいるという感じがする。その頃の東京は都会だった。(9頁)
やはり多少とも馴染みのある本郷が主な舞台だから、おのずと13年前とは感じ方も違ってくる。普遍的世界への着目というよりも、特殊具体的世界への関心と言えようか。
ところで気になること。この長篇は次の一文から始まる。
これは本郷信楽町に住んでいた頃の話である。
本郷界隈はよく歩き回る。文京区による旧町名の解説板などがあるから、本郷界隈の旧町名は、たとえば春木町や弓町、菊坂町、台町、森川町などがあるのは知っているけれど、信楽町という町名は耳慣れない。怪訝に思って手近にある明治の参謀本部地図ほか戦前の東京地図や江戸の切絵図を調べても信楽町という名前はないのだ(ネットでも見つけられなかった)。ひょっとしてこの町名は吉田健一による創作なのかもしれない。
作品を読むと、「兼安までが江戸の内」云々の有名な言葉が引き合いに出されている部分からは、この場所が「江戸の内」であった(つまり今の地下鉄本郷三丁目駅付近よりも南側)ことがわかるし、坂を下ると不忍池に出るとあるから、本郷通りの東側だと推測され、地域はある程度特定できるのだが、そこには信楽町などという町名は存在しない。たんに私の知識不足なのか。
もし吉田健一の創作であるのならば、冒頭から大胆な仕掛けをほどこしていることにただ驚くしかなく、これまでこんな町が本当にあると思っていた私は見事にその仕掛けにはまったのであり、吉田の小説作法にあらためて思いを馳せるのである。