音曲は経営者の条件

経営者の精神史

山口昌男さんの新著『経営者の精神史―近代日本を築いた破天荒な実業家たち』*1ダイヤモンド社)を読み終えた。先日読んだ大村彦次郎さんの『文壇挽歌物語』*2筑摩書房、→4/29条)と一緒に、東京堂書店ふくろう店の“坪内祐三コーナー”で買った本である。もとより新刊だから新刊の棚にも置いてあったのだが、坪内コーナーで買うことに意義のある本だろう。
さて本書は別著『「敗者」の精神史』*3岩波書店)・内田魯庵山脈』*4晶文社)の系統に位置する人物列伝集であり、明治の「忘れられた」起業家たちを取り上げている。取り上げられた人物たち二十数人のうち、名前を聞いたことがあったのは、益田太郎・馬越恭平・日比翁助・ヴォーリズ・鹿島清兵衛らわずかに過ぎない。山口昌男さんらしい着眼で彼らの事績が掘り起こされる。
同じ明治の起業家を取り上げた本として、鹿島茂さんの『破天荒に生きる』*5PHP研究所)がある。「破天荒」という言葉が二つの本に共通することもあって、強い親近性を思わせる。とはいっても、これら二著に共通して取り上げられているのは“ビール王”馬越恭平ただ一人。鹿島さんの場合起業家として成功する過程に着目し、成功する要因となったアイディアなどに力点を置いている。底には「現代で成功するには」というアクチュアルな関心がある。
もちろん山口さんの本に現代とつながる視点がないというわけではない。むしろ「現代の経済人に欠けているのは何か」という問題を鋭く突いている点、逆に現代との接点を大きく持っているのかもしれない。
本書を読んで印象に刻まれた言葉に「銀行」「音曲」二つがある。「銀行」というのは、本書に登場する経営者たちに銀行家が多いということだ。この点については「あとがき」に代わるインタビューでも触れられていて、銀行を起こすことが今より自由であったためと解説されている。本書でよく登場するのは横浜正金銀行である。
横浜正金銀行といえば思い出すのは、フランス・リヨン支店で勤務していた永井荷風。本書ではその創立者である中村道太が取り上げられている。大きな人名辞典などでも項目が立てられていない、まさに「忘れられた」人物なのだが、彼を通して、正金銀行に勤めていた山岳作家の小島烏水や、同行と深い関わりがあった斎藤昌三らが紹介され、同行が果たした文化的役割の高さが称揚されている。
今ひとつの「音曲」は、本書で中村道太とともに山口さんによって掘り起こされたといってよい平岡熈の項に詳しい。平岡を取り上げた一章のタイトルは「トリックスターとしての経営者」というもので、いかにも山口さん的であることが力の入れようを示していると言える。
平岡熈という人物は、鉄道車両を製造する会社の経営者であり、かつ日本における野球の創始者の一人として、正力松太郎とともに野球殿堂入り第一号の栄誉を持つ。母は一中節の名人という邦楽一家に育ち、自らも邦楽の作曲を行なった。彼ら起業家のなかには趣味道楽として邦楽を得意とする人物が多く、その多くは旧幕臣でもあった。「江戸時代の芸事の世界は、薩摩出身の新政府要人たちには苦手であった。だから音曲の世界は、旧幕臣に逃げ場を提供したのである」
平岡は典型的な“ホモ・ルーデンス”だったらしい。茶屋遊び好きと勤勉が一人の人間に同居していた。働くときは働き、遊ぶときは懸命に遊ぶ。「トリックスター」的であり、彼のそうした性格の一番の理解者が澁澤栄一だったという。山口さんはこの平岡のスタイル、考え方こそが「日本的経営者の理想」だとし、今こそこうした“経営者の精神史”が説かれなければならないと主張する。
本書には、『週刊ダイヤモンド』に隔週連載された各回一人の経営者列伝に加え、三井財閥の大番頭益田孝と彼と親しい関係にあった蒐集家・史家柏木貨一郎を論じた多少硬めの「日本近代における経営者と美術コレクションの成立」と題する紀要論文が収められている。益田孝を中心とした知のネットワークの広がりを説く論法は、『内田魯庵山脈』に見られるような山口さんの独壇場である。