受けから攻めへ

詩歌の待ち伏せ(下)

北村薫さんの新著『詩歌の待ち伏せ(下)』*1文藝春秋)を読み終えた。昨年出た上巻(といっても私が読んだのはつい数日前にすぎないけれども)に引き続き、詩歌に「待ち伏せ」されることの愉しみを語った快著であった。
上巻では詩歌に待ち伏せされるという言葉どおりの“受け身の快楽”体験を語ったものが多かったが、下巻に入ると一転、みずから詩歌や詞章の「待ち伏せ」を求めて打って出るといった“攻めの快楽”体験が目立った。
冒頭から、土井晩翠の「星落秋風五丈原」の詩句の異同をめぐる謎の追跡が二章にわたって展開され、また、高知の詩人大川宣純の詩をめぐる考察、「To say good-bye is to die a little」というチャンドラー(が生み出した名探偵フィリップ・マーロウ)の名言の出所をめぐる探索の顛末など、調べつくして知る(いわばこれが「待ち伏せ」だろう)ことの嬉しさを語って倦むことがない。
詩歌にまつわる疑問を胚胎させるためには、その詩歌を鑑賞することが前提である。本書を読むと、“詩歌を鑑賞することの愉しみ”もまたストレートに伝わってきて心動かされる。
たとえば加藤楸邨の「芹の根も棄てざりし妻と若かりき」という一句の、言葉一語一語を噛みながらその句にひそむ広大な時空を浮かび上がらせる鑑賞、ルナール『博物誌』の訳者によって異なる訳語の味わい方など、詩歌ばかりか文章を味わう愉しみに満ちあふれた本である。
みずみずしい緑の木の葉があしらわれた上巻のカバーイラスト(群馬直美さんの作品)から一転、下巻のカバーは秋の気配満点の紅葉した木の葉のイラストに彩られる。イラストだけでなく、表紙も緑から茶色に変わっている。上巻は6月、下巻は10月という刊行時期を意識したものだろうか。
それだけでない。本書上巻を見て「あれ?」と不思議に感じたことが、下巻を見ることで決定的になった。本文のインクの色である。下巻はブラックブラウンというのか、カバーに合わせた焦茶色のインクで刷られている。最初見たときはかすみ目になったのかと思って何度か目をこすった。上巻を見たときにも似たような感覚に襲われたのだが、インクが薄いのかと勝手に解釈していまっていた。
いまあらためてためつすがめつ版面を見ると、下巻ほどはっきりしないけれども、完全な黒ではないようだ。風格のある角背のたたずまいとあいまって、遊び心を感じさせる造本である。