戸板ミステリの味わい方

書友ふじたさん(id:foujita)から、戸板康二さんの短篇「塗りつぶした顔」に私の職場が登場するということを教えていただいたので、これを収める短篇集『塗りつぶした顔』*1河出文庫)を書棚から取り出し、読み始めた。
最近文庫本の解説は最初にさっと目を通すだけで、本編を読んでからあらためて熟読するという習慣になっていたが、今回はどういう風の吹き回しか、解説から読んでみようという気になった。山前譲さんが戸板ミステリをどのように評価しているのか、気になったからでもある。
するとこんな一節が目にとまった。

そして、「あとがき」でも触れられているが、若い女性が主人公という作品が多いのも、爽やかな作品という印象を深めている理由であろう。戸板氏の作品に登場する女性は、一種の女性の理想像(もちろん男性から見た)を代表していると思うのであるが、いかがであろうか。
ということで、『家元の女弟子』(この解説執筆当時はまだこのタイトルでまとめられていなかった)に登場する狂言回しの関寺真知子を引き合いに出している。
戸板さんの小説をたくさん読んでいるわけではないけれども、この指摘を受けてふりかえるとなるほどと思わされたし、また本書収録の9篇を注意して読むと、いずれもがそうした若い女性(たぶん綺麗な―これは読者としての私の理想像)を主人公級の重要人物に配している。これを類型的と言うは易い。
いまでこそ、ミステリ小説のジャンルにおいて「日常の謎」という系統の作品群は多いけれども、戸板さんが旺盛な執筆活動を展開していた昭和30〜50年代は戸板さんの独壇場と言っていいのではあるまいか。
本書収録の短篇でも、人が死ぬのは数篇にとどまり、ましてや殺人事件はさらに少なくなる。人間の何気ない日常に浮かぶ謎をうまくとらえて一篇の小説に仕立て上げるわざは見事なものである。
このなかで私はそうした「日常の謎」に比較的近い味わいの「社長室のパンダ」が好きだ。謎が解決されたあとに用意されている皮肉たっぷりのラストが絶妙である。
肝心の職場が登場する「塗りつぶした顔」だが、編集アルバイトをしている主人公の女性の父親の勤務先として唐突に登場する。母親の菩提寺が本郷(万太郎の墓所のある善福寿寺か)というつながりからだろうか。とまれ、さっそくわが“職場の文学誌”に加えたいと思う。