引用したい箇所だらけ

編集兼発行人

山本夏彦さんの本を数冊読んだ程度なのだけれど、この私にもだんだんとわかってきた。何がわかってきたかというと、山本さんの書かれていることは同じことの繰り返しであるということを。
悪い意味で言っているのではない。山本さんご自身も自覚しており、またファンの間ではつとに有名なことだ。加えて発言が一々ズバリズバリと核心をついて鋭いので、名言集・箴言集といったアンソロジーが編まれるのも当然の成り行きだった。
逆にいえば、名言が多くそれらの変奏を飽くことなく繰り出してくるから、山本さんの本を読んで感想を書くのは至難の業となる。全編引用して済ませたくなるが、結局同じ部分にしびれて、同じ内容の文章を引用しかねない。
今回読んだのは文庫新刊『編集兼発行人』*1(中公文庫)である。このなかで惹かれたのは、帯コピーにも採用されている「人生は短く本は多い」という一節をタイトルに冠したコラム。

本と人がめぐりあうのは、今やまれなる「縁」となった。縁あってめぐりあったら、とりあえず買っておかなければならなくなった。明日という日があると思ってはならない。
本は河の流れのように、流れて一刻もとどまらない。さかのぼることはできない。有名でない版元の、有名でない著者の本は、よしんば新刊でも古本だと思わなければならない。
人生は短く、本は多い。おびただしい本とはとてもつきあい切れないから、とりあえず買っておいた少数の本とあとでつきあうのである。
けだし名言なり。
本書の解説は、山本さんの女婿で、山本さんの経営する工作社で長く「番頭」をつとめた岡田紘史さん。この岡田さんの文章もまた山本調で味わい深く、内輪の人間から見た山本夏彦の素顔を語って読む者を飽きさせない。
岡田さんは、本書はそれまでに出た著書四冊で述べられたテーマを練り直し仕立て直し推敲し直して完成した「山本夏彦の大黒柱」であり、その後の山本さんの著書で展開されるテーマもまた本書に凝縮されているという。「これを読めば山本夏彦の言いたいことがわかる」というわけだ。
本書のもとは『小説新潮』に「社会望遠鏡」として連載されたコラムであるそうだが、山本さんはこれには他の連載物と比較にならぬほど集中し、真剣に取り組んだという。
このコラムは、必ず自宅で原稿を書いた。月に一度、その日だけは事務所を休んだ。あの万難を排して事務所に来る人が、である。
(…)そんな怒りんぼ大将(とわたし達は呼んでいた)の彼が、この「社会望遠鏡」の原稿を推敲する日(休んだ翌日)だけは、丸一日、沈黙した。まるで息をしていないように、静かだった。原稿用紙をにらみつけて、右手の万年筆だけをほんの少し動かすだけだった。事務所はただ机が並んでいるだけのワンルームだったから、彼が石仏のように沈思黙考している姿はどこからでもよく見えた。わたし達は、この日は静かに息をひそめて過した。電話には小声で出た。「室内」の来訪客は、その異様な雰囲気に早々に退散した。それほどこの「社会万華鏡」は特別だった。
ずいぶん長く引用してしまった。本当は引用して紹介したい箇所がもっと山ほどあるのだ。たとえば山本さんが「天下無敵という形容詞をつけたいくらい」優柔不断であること、また、事務能力が絶無であること、などなど。
本書は解説を含めても200頁に満たない薄目の文庫本である。山本夏彦のエキスをまず味わいたい方におすすめの一冊である。