酔態小説の傑作

大阪の宿

久保田万太郎戸板康二といった慶応出身の文人の作品に親しんでいると、否応なく目に飛び込んできて頭に刻みつけられるのは、水上瀧太郎という名前である。先般彼の長篇『大阪の宿』*1講談社文芸文庫)が文庫になった。新刊時(8月)迷っているうちに古本屋で目にしたので飛びつき、このほど読み終えた。
水上瀧太郎は鏡花の弟子として、また『貝殻追放』というエッセイの作者としてこれまでも何度か私の目の前を通り過ぎたのだが、ようやく『大阪の宿』で彼の姿を捕捉したといったところだろうか。
戸板康二さんによれば、久保田万太郎を鏡花に引きあわせたのが水上瀧太郎なのだという。

万太郎と鏡花を結びつけたのは、三田で親しい友人となった水上瀧太郎が、この作家を崇拝、「風流線」の水上規矩夫と「黒百合」の瀧太郎からとって自分の筆名にしていたほどであったためである。(『万太郎俳句評釈』105頁)
『大阪の宿』巻末の年譜によれば、瀧太郎と万太郎が出会ったは、瀧太郎慶応理財科本科二年23歳、万太郎文学科予科二年のときだったらしい。
瀧太郎が理財科(のちの経済学部)に籍をおいていたのは、もとより父が日本最初の生命保険会社明治生命創立者であり、その跡継ぎとして期待されたからなのだろう。実際彼は明治生命に勤務するかたわら作家活動を行なうといった「二足の草鞋」を履いている。
そうした彼の二重生活の果実のひとつが、この『大阪の宿』だ。大阪に単身赴任してきた30歳を過ぎた独身の男三田が、大阪での住まいに選んだ酔月という旅館で出会った宿の女中や同宿者、近所の女性らとの日常が綴られる。
東京出身、酒量は底抜けながら酒席での差しつ差されつが苦手で手酌でいいと女中を寄せつけない、そんな気重な性格の主人公が、最初こそ上方のおおらかな女性たちに訝しげに見られるものの、次第にうち解けて上方の風土に馴染んでゆく。東京人と大阪人の文化的・気質的衝突というものを人間のやりとりのなかに見事に浮かび上がらせた楽しい小説であった。
三田の酒友で、泥酔すると頭から酒を浴びせかけるという悪癖をもつ芸者お葉(あだ名が蟒)や、三田を酔月に勧誘したおかみの親類「おっさん」とのやりとりなど、酔態小説ともいうべきおもむきもあって、読んでいるうちに「お猪口で一杯」したくなるのである。