六代目と名カメラマンの幸福な出会い

多くの人が絶賛する六代目尾上菊五郎とはいったいどんな役者だったのか、見てみたかったなあと思うことがある。いずれ近いうちに小津安二郎が撮った「鏡獅子」を見る機会もあろうけれど、小津も六代目もこの映画はお気に召さなかったようだし、またスクリーンやブラウン管を通して歌舞伎を観ることがどうも苦手だ。
六代目を知るためには、いまのところ舞台の瞬間瞬間を封じ込めた写真と、六代目の芸談や近くにいた人々の回想を読むにしくはない。
なぜこうも六代目は伝説・神話の域に片足を突っ込んだようなエピソードが多いのだろう。やはりその役者ぶりの大きさも関係しているに違いない。同時代に活躍した初代吉右衛門だって、十五代目羽左衛門だって、挿話のたぐいはおびただしく残っており、いずれも読んで面白いのと同じレベルということだ。
先日南砂のたなべ書店で、木村伊兵衛が撮影した六代目の写真集を入手した。『六代目尾上菊五郎―全盛期の名人藝』*1(発行:ネスコ/発売:文藝春秋)である。
本書の監修は初代吉右衛門の黒衣中村秀十郎の聞書『秀十郎夜話』(冨山房百科文庫、未読)で知られる千谷道雄さんであり、写真のキャプションや解説などを書いておられる。千谷さんは、吉右衛門劇団の座付作者をしておられたとのことで、まったく身近というわけではないけれど、ライバル吉右衛門の側から菊五郎の藝をつぶさに見ていた方だ。
さて六代目の写真を撮った木村伊兵衛は六代目の大の贔屓で、写真嫌いの六代目も注文をつけないほど信用されていたらしい。昭和10年代という菊五郎の全盛時代、ネガ3000枚に及ぶ舞台写真をライカで撮りためた。それでなくとも暗い舞台、光量が乏しいにもかかわらず、所作の瞬間瞬間を捉えた写真は見事のひと言につきる。
不思議なのは、残されたネガの大半が時代狂言や所作事のもので、本領にしていたはずの世話物は「弁天小僧」一演目を数えるに過ぎないこと。千谷さんは「恐らく木村伊兵衛がカメラを抱えて劇場通いをした間には、魅力ある世話物があまりなかったのだろう」と推測しているが、はたしてどうなのだろうか。
解説を読んで驚いたのは、「吃又」をいまのような演出に変えたのは六代目であるという話。「吃又」の舞台写真にも迫力がある。六代目の浮世又平に三代目梅玉のお徳、見たかったなあ。