戸板本三連読

戸板康二さんの本をこのところ立て続けに読んでいる。
『万太郎俳句評釈』(富士見書房、10/3条)・『芝居名所一幕見―舞台の上の東京』(白水社、10/5条)と来て、このほど『街の背番号』青蛙房)を読み終えた。同じ著者の本をここまで連続して読むのも久しぶりのことだ。
『街の背番号』は以前触れたことがある(旧読前読後2001/5/30条)。重複をいとわずいま一度本書のことについて書こうと思う。
本書は矢野さんに言わせると戸板さんの「山の手育てならではの感性が存分に発揮された最初の著作」であり、「『ちょっといい話』の原型」「歌舞伎の批評とその周辺に限られていた戸板康二の仕事の枠が、大きく広がっていくポイントになった」という、重要な評価が与えられている。
ところがその矢野さんをしてでもなかなか入手できなかったというほど、本書は希少価値のある本らしい。私は本書をネットで見つけたが、その後古書店でも一冊見かけたことがあるので、かなり貴重な体験をしているということになるだろうか。
さて本書は326篇がまとめられたコラム集である。東京新聞がかつて出していた『週刊東京』という雑誌に足かけ三年連載されたもので、「一話がほぼ四百字内外の文章で、その中核にある金平糖のケシ粒は、ほとんどが僕の直接の見聞である」(「あとがき」)という。これらがテーマごとに分類され並べ換えられ、それぞれのコラムに連載時の通し番号(いわばこれが「背番号」)が付けられている。
通読すると、昭和三十年代初め頃の風俗が切り取られた風俗時評となっており、そういう読み方をすればなかなか興味深いのだが、やはり古さは拭えない。入手困難な本ではあっても、文庫化するまでには至らないとおぼしい。
個人的に興味を惹いたのは、バレンタインデーの風俗を写した一文(「異論のない物日」)で、当時のデパートではネクタイや耳飾りの売場に「バレンタインの日、心をこめた贈り物」といったポスターが貼り出されていたこと。すなわちまだチョコレートを贈る習俗は発生していなかったわけだ。
また、写真を撮るときに「チーズ」と呟くと口許が微笑の感じになるという話をさも新奇なように書いていること(「チーズの微笑」)。いまではむしろ「ダサい」と評されるような「チーズ」の合い言葉は、この頃に広まり始めたのか。
また豆腐屋の話で、近ごろ豆腐屋が自転車で歩くのが目立つが、天秤棒でかついで歩く方が感じがいいと書いている(「乗物と食物」)。自転車で回って歩く豆腐屋すら滅多に出会わなくなった今になってみれば、これもまた時代の境目であったことがわかる。
思わず「鋭い」と唸ってしまったのは、全集の装幀についての指摘(「夏の装い」)。第一回配本が夏にはじまるものは、製本があっさりしている。たとえば六月に配本が開始された鴎外全集は麻のいかにも夏向きの表紙であると書かれており、なるほど鴎外全集のあのカーキ色のざらざらした布の装幀について、そういう見方もあるのかと目から鱗が落ちた。
「冬に出た全集だったら、あるいは、もっと重厚な色の本になったのではあるまいか」とあるが、たしかに毛羽立った感じの装幀の全集がある。これはもしかしたら冬に出始めたものなのだろうか。いやはや面白い。
全30のテーマに分けられたうち、もっとも篇数が多いのは「発明」、次いで「言葉」になろうか。前者に「流行」、後者に「文字」を加えれば、それぞれかなりの数になる。ここから言えるのは、戸板さんが流行に敏感で新し物好きであること、また、言葉にも敏感なことだろう。
言葉といえば、一昨日戸板さんと正字・かなづかいの問題に触れた。この問題を解き明かすような文章こそなかったものの、傍証にはなるかもしれない。