ネジのはずれた人生

鎌倉のおばさん

村松友視さんの泉鏡花文学賞受賞作『鎌倉のおばさん』*1新潮文庫)をようやく読み終えた。記録を見ると、私は本書を一昨年の10月頃に読みはじめている。ところが200頁くらいまで読み進んだところで中断し、そのままになってしまっていた。
実際このように読み終えたのだから面白くなかったわけではないが、当時並行的に読んでいた本のほうを熱心に読んでいて、そうしている間にまた読みたい本が続々押しよせ、いつのまにやら『鎌倉のおばさん』は後景に追いやられていた。気づいたときには200頁までのストーリーが忘却の彼方。そんなところだろう。
ふじわらさんによる本書の感想によって読書再開の意欲が沸いた。そこにたまたま古本屋で本書文庫版の帯付美本を見かけたのだった。それまで読んでいた本は帯無し小口削りの“ブックオフ版”だったため、再読のモチベーションのためにあらためて購入しなおした。
無駄だという声もあろうが、既所持未読の本の買い直しは読書への絶好の機会たりうる。中断箇所からでなく、最初から読み直した。忘れているのだから仕方ない。

村松友視さんは『本朝画人伝』などで有名な文士村松梢風の孫に当たる。友視さんの父友吾は、まだ友視さんが妻のお腹にいるときに、若くして上海で客死した。友視さんを産んだ直後、母親は第二の人生を送るようにという村松家の配慮で村松家と縁を切り、以後「死んだ」ことにされていた。
友視さんは祖父梢風の四男として届けられ、戸籍上梢風と親子関係になる。清水にいる祖母(梢風の妻)のもとで育てられた。梢風は放蕩無頼の文士だから、妻をかえりみず別の女性と暮らす生活を長く続けていた。
「鎌倉のおばさん」こと絹江もその一人で、彼女が梢風の死を看取り、葬儀のさいも正妻の立場として参列した。絹江は年齢を九つも上に偽っているうえに、虚言癖があった。自分で勝手にフィクションをつくり、自らが作ったフィクションが現実にすりかわってしまっているのである。
複雑な家庭に育った友視さんもまた、いつしかこうした虚言癖をまとうようになる。血がつながっていないながら、あたかも係累のように「おばさん」との会話を楽しむ作者の姿。「おばさん」の姿を通して作者の人生が透けて見えてくる。
友視さんは「生れつき、一本のネジを引き抜かれて育った」と自らの前半生を表現しているが、その失われたネジを元通りに戻すチャンスはあった。「死んだ」とされていた母親が生きていたことを知ったときだ。しかし、その事実は祖父・祖母から筋を通したかたちでなく、絹江から聞かされたことで、チャンスは永遠に失われる。
後日祖母から事実を聞かされたとき、感情を抑え、産みの母の存在を冷淡に受け止めるような殻ができてしまっていた。絹江は「私の手の近くにあったはずのネジをポンと遠くに投げてしまった」のである。自らの人生を左右する瞬間をかくも冷静にふりかえる、本書はそのような醒めた視線で貫かれており、そこに面白さがある。
時計王服部金太郎が嫁いだ娘のために鎌倉に建てたという豪邸を買い取り、梢風は絹江と暮らすようになる。購入資金を絹江の実家から借りたことにより、いつしか家の名義は絹江の実家のものになっていた。亡くなるまで絹江は一人鎌倉の豪邸に住むことになる。
彼女の死後、掃除もされずに新聞紙が散乱する鎌倉の家を訪れたシーンの後ろに、友視さんの前半生、彼女との関わりが回想されてゆく。
そのなかで大きな役割を与えられているのが、梢風の親友だったという小島政二郎による「女のさいころ」という梢風の評伝小説だ。この小説が作中相当量引用されている。作中にもあったが、絹江のモデル問題などもあって連載中は一騒動あったらしい。
後記を見るとそれゆえか、どうやら単行本にもまとまっていないようだ。そのような小島の“幻の作品”に光をあてたのも本書の功績の一つだろう。