大女優の誘惑

君美わしく

池袋の新文芸坐で始まった「名匠・成瀬巳喜男の世界」で、まず「放浪記」を観た。今後も未見の成瀬作品を観ることができるかと思うと幸せな気分になる。私はごく最近旧作日本映画を見始めたに過ぎない。いまのところ日本映画の旧作一辺倒で、新作はおろか外国映画も観ない。
中野翠さんが、昔の日本映画ばかりを凝って見つづけることに批判的な文章を書いているのを目にしたことがある。たしかにそうだとは思いつつも、いましばらくは旧作日本映画を中心に観て、徐々に映画の世界に慣れていきたいと考えている。
たぶん見方も偏っている。ストーリー本位でなく、俳優本位に傾いているような気がする。自分も知っている俳優さんの若い頃の演技を楽しもうという心持ちだ。
自分が子供の頃、母親がテレビに出ている女優さんに対し「綺麗だよねえ」としみじみ言っていたことを思い出す。親の世代が若かった頃に夢中になった俳優さんたちを、遅まきながら自分も追体験しているということになる。
「放浪記」を観たあと、主演の高峰秀子さんはやはりいいなあと、川本三郎さんの『君美わしく―戦後日本映画女優讃』*1(文春文庫)を書棚から取り出した。
本書は川本さんによる大女優たちのインタビュー集であるが、そのいちばんはじめが高峰秀子さんなのである。読み出すと止まらなくなった。次の津島恵子、そして淡島千景久我美子と読み進んで勢いがつき、とうとう読み終えてしまった。
川本さんはこの仕事をとても楽しんでいたことが、行間から伝わってくる。いっぽうで憧れの女優さんたちのご機嫌を損ねないようにするため、気をつかい、緊張するものであったことも伝わってくる。ただし川本さんの心配は杞憂だった。女優さんたちは皆気さくで、話しにくいような過去の話も明るく話してくれたからだ。
旧作日本映画の初心者である私にとって、本書はエピソードの宝庫であった。とりわけ山本富士子・前田通子・高千穂ひづるの章で、彼女たちの経験にそくして語られている六社(五社)協定による俳優たちへの拘束の厳しさが印象に残る。
女優から見た小津・成瀬・黒澤といった巨匠たちの話も興味深い。ため息が出るほどの美しさを感じたのは、高峰秀子岡田茉莉子新珠三千代三人。
これからも幾度となく本書を繙くことになるだろう。そのときのために、この本についても映画索引を作りたくなってきた。