アンテナの感度の問題

メジャー・リーグのうぬぼれルーキー

翻訳物をいつ以来読んでいないか調べてみた。すると、実に一昨年九月に読んだP・ハイスミス『変身の恐怖』(ちくま文庫吉田健一訳、感想は2001/9/3条参照)まで遡らねばならないことを知って慄然とした。約一年半の間翻訳物を読んでいないことになる。
意図的に避けているわけではない。翻訳物に対する関心のアンテナの感度はいちじるしく鈍い、したがって購入しない、結果読まないという筋道である。
そのなかで久しぶりに翻訳物を購入し、読み終えた。ちくま文庫の新刊リング・ラードナー『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』*1加島祥造訳)である。
先日平出隆さんの『ベースボールの詩学』(感想は4/11条)を読んで“野球物”に対するアンテナの感度が高くなっていたことにところに、本屋で平積みになっていた本書のカバーデザインが目がとまった。「これは」と思い手に取ったら、果たして予想どおり吉田篤弘吉田浩美さん(クラフト・エヴィング商會)のお仕事だった。
書名だけでは、たとえアンテナが高感度でもたぶんひっかかってこなかったに違いない。カバーや著者紹介、訳者解説を読んでさらに本書に興味を持つ。作者リング・ラードナーは元新聞記者で、新聞に野球記事を書くかたわら本作品を執筆したという。
本書は田舎のリーグで活躍していた荒くれ投手ジャックが、メジャーのシカゴ・ホワイトソックスにスカウトされ入団し、野球生活・私生活の紆余曲折を経ながら一流の投手に成長していく一年間を、ジャックが田舎の友人アルに宛てた書簡のみで綴るユニークな小説である。
しかもこの作品が発表されたのは1914年。日本ではまだ漱石・鴎外が生きていた大正初期である。
訳者加島さんによる解説「見事な喋り言葉」によれば、この作は「アメリカ特有の自由な喋り言葉が駆使されていて、それが作中人物の実相を浮き彫りにしている」という点において「アメリカ現代小説の古典」と評価されているとのこと。
そのような作品が新訳文庫オリジナルで読めるなんて幸せではないか。日本語訳もそうしたアメリカ人の喋り言葉の雰囲気を損なっていない(と思う)。
この時期のアメリプロ野球の制度がどのようになっているのか、詳細は不明だが、地域リーグ(いまで言えばマイナー・リーグ)とメジャー・リーグは別の組織体で、とくに上下関係があるものではないようだ。そのような散在したリーグが徐々にメジャーを頂点としたピラミッド型に再編されたのだろうか。
また当時の移動方法は鉄道と船によっていた。だからいまのように一つのリーグを東地区・中地区・西地区に分けるのではなく、東は東、西は西でメジャーの別リーグとなっていたとおぼしい。
そのなかで主人公のジャックは持ち前の荒れ球速球を武器にメジャー選手となり、実在の名選手タイ・カッブと対戦したりする。メジャー入団当初は、ランナーがいるのにワインドアップから投げて軽々と盗塁を食らったりするが、経験を重ねていくなかでまあ見られる選手に成長しているらしい。
いま「らしい」と推測形で書いたのは、この作品はあくまでジャックの書簡だけで事実が語られているからだ。
というのもジャックは気が強く独善的で、書名にもあるように「うぬぼれ」屋であるから、書かれていることをすべて信じるわけにはいかないのである。
たとえばこんなくだり。

つまり、おれは十六勝〇敗の記録作ったことになるな。もちろん負け試合も一つだけあるが、これはバックが投げちまった試合だからな。ところが事務所じゃ十勝六敗なんて言ってんだ。そのなかには、おれがリリーフをして勝ったのにほかの連中の勝ちになっちまってるのが六つもあるんだぜ。(184頁)
16勝0敗なのに、「もちろん負け試合も一つある」という矛盾を平気でおかしていることに笑ってしまう。ヒットをヒットと認めなかったり、ジャックにとってはこんなことは日常茶飯事。すぐにカッと頭に血が上るから、騒動も絶えない。監督と衝突して地方のチームに売られてしまうこともある。
日常生活では思い込みの激しさゆえに、自分を誘惑した女性にのぼせ上がって結婚するつもりになる。「驚くなよ」とアルに結婚報告をしたすぐ次の便では「最悪なことが起きた」とフラれたことを報告し相手の女性を罵倒する。要するにジャックは憎めないキャラクターなのである。
ジャックはケチという設定のため、当時の衣食住に関する物価が事細かに書かれているのも、読むうえでの楽しみのひとつになっている。