第101 そしてY市へ

Y市の橋

松本竣介展を観に行き、「Y市の橋」探訪への気持ちが高まってきてはいたけれども、もう少し間をおいてからと思っていた。ところが、ふと思い立って松本竣介展についてつぶやいている人がいないかとツイッターの検索をかけてみたところ、「Y市の橋」に描かれた跨線橋が解体されるという新聞記事のツイートが引っかかった*1跨線橋は1930年に建てられたため、老朽化により解体されるという。80年を経過していることになるのか。
記事によれば取り壊しは来年度ということなので、焦る必要はないのだが、こうなるといてもたってもいられないというか、矢も楯もたまらなくなってというか、「Y市の橋」の現場を訪れずには気がすまなくなる。記事からわかるように、また洲之内徹さんの『気まぐれ美術館』*2新潮文庫)に収められた四篇の連作「松本竣介の風景」でも明らかなように、この風景はJR横浜駅のすぐ近くにあるのである。すなわち「Y市」とは横浜市を指す。
電車のなかで洲之内さんの「松本竣介の風景」を読み直す。基本的この連作エッセイは、松本竣介が描いた絵のモデルとなった場所を訪ね歩いた報告書というおもむきなのだが、「気まぐれ美術館」の名に恥じず、むかしの恋人との同棲生活やら、従軍していた頃の思い出話、岡鹿之助との対話(しかしこれはあとで主題と緊密にむすびつく伏線となる)など、あちこち別の話題に飛びながらも、松本竣介の作品世界に鋭く切り込んでいる。

松本竣介の風景は、時期的に近くに来るに従って、いっそう深い郷愁のごときものを画面に滲ませてくるが、あの郷愁は、やがて失われて行くものへの愛惜の想いだったのではないだろうか。(新潮文庫版282頁)
これが竣介でなく、他の画家だったら、自分たちは作品の現場の発見にこんなに熱を入れるだろうか、竣介に限ってこうらしいが、いったい竣介の風景の何が、私たちを、こうやって炎天の下を歩きまわらせるのだろうか、と訝りあったものであった。いまだにそれは判らない。私たちはどこかへ忘れてきた大事な忘れものを探しに歩いているような具合であった。私がそう言うと、先生(引用者注―岡鹿之助)は、それは松本竣介のポエジーだよと言われ、それから、話は絵におけるポエジーのことになった。(同上306頁)
『気まぐれ美術館』を読むと、こんなふうに引用したくなる一節が次から次へと出てきて困ってしまう。
さて『気まぐれ美術館』の文章に感動しているうちに、東海道線はあっという間に横浜に到着した。「Y市の橋」の正式名称は月見橋といい、横浜駅のすぐ北側にある。かつてここから良く月が見えたのだろうか。新田間川という運河にかけられている橋で、洲之内さん(そして洲之内さんが依拠した丹治日良さん)は、月見橋のひとつ隣の東側にかかる金港橋(国道一号線が通る)から松本竣介がスケッチしたことを明らかにしている。これらの橋は、電車が横浜駅に入る直前にも確認でき、いやが上にも気分は盛り上がる。
金港橋・月見橋は、横浜駅から外に出て数分も歩かないところにある。人気がなく寂しい東口の、しかも車しか通らない国道一号線沿い、頭上には首都高の高架がかぶさるという殺風景な場所である。『気まぐれ美術館』掲載の写真では、まだ首都高が工事中だったとおぼしく、川の途中までしか高架がないので、いまとくらべて圧迫感は弱く空も広い。いまでは高架を支える橋梁が川を跨ぎ、また柱が川のなかに打ち込まれてしまって、ますます「Y市の橋」の風景から遠ざかっている。
月見橋の側(横浜駅東口)と反対側の西口をむすぶ跨線橋が「内海川跨線人道橋」といって、今回取り壊しが話題になった橋である。「Y市の橋」では、左のほうに茶色で描かれている。しかしながら、絵では、別の鉄骨トラスと一緒になって、それが跨線橋であることはわかりずらい。いまは水色に塗られ、近くに行ってみるとすでに閉鎖されて渡ることができなくなっている。新聞記事では、何本もの線路を跨いでいるため、電車を撮影する好スポットだったという点から残念がられているが、やはりわたしは「Y市の橋」における重要な点景がなくなるということで、寂しさを禁じ得ない。取り壊しの前にその場所を訪れ、わずかでもその痕跡を目に焼き付けることができたというだけで救いだろう。
松本竣介の風景」では、『芸術新潮』での連載を読んだ広島県の人から、自分が所蔵する風景画の素描の写真を送られ、その場所のモデル探しをしたという話があった。そこで紹介されている素描三点のうち二点は、図録でいえばD065「新宿の公衆便所」・D084「橋:鉄橋近く」に該当すると思われるが、残り一点「鉄橋近く」は、似た絵が図録に確認できるものの一致しない。図録にない別作品とおぼしい。D065は今回観ることができ、D084は後期展示の作品だった。
今回松本竣介展を観て感じたのは、この素描のように、「個人蔵」と表記される作品の多さだった。一緒に観に行った妻は、次男の松本莞氏がご存命なので、あるいはそのまま松本家に所蔵されている作品が多いのだろうかと推測していたが、わたしの頭には、作品を手もとにおいて手放さない松本竣介愛好家が多いのではないかという根拠のない憶測も浮かんでいた。「松本竣介の風景」の上記挿話によれば、その憶測は当たっているのかもしれない。
個人蔵の作品が多いということは、これを出展するために、所蔵者一人ひとりとの交渉を地道におこない、許諾を得なければならないということで、それを成し遂げたキュレイターの方々の努力に敬意を表したくなる。秘蔵して展覧会には出したくないという人もいるだろうから、その苦労が察せられる。
さて明日からまた仕事なので、むやみに体力を消耗することはせず、今日の散策はこの「Y市の橋」の風景一箇所だけに絞った。金港橋から月見橋、さらに跨線橋をしばらく見やって帰途につく。帰りがけ横浜駅構内の崎陽軒で「昔ながらのシウマイ」を購い、昼飯がわりにしようというもくろみである。
最近IKEAから安く買ってきて三階のベランダに置いた日よけパラソルと屋外用の小テーブルと椅子を使い、シウマイを肴に昼からビール、極楽極楽…という図を頭に想像したらたまらなくなった。帰宅後すぐさま、ベランダの暑さがそれに耐えられるかどうか様子を見に出てみたところ、ちょうど干していた布団を取り込みに出ていた隣家の奥様と目が合った。「その椅子とテーブル、いいですねえ。ベランダも広いし」と声をかけられ、しどろもどろに返事をする。完全に機先を制せられてしまった。そう言われてしまうと、気の小さいわたしとしては、テーブルと椅子を日陰に動かし、ビールを持って外に出ることができなくなってしまうではないか。あちらの奥様がうらやましいという姿にはまりすぎてしまう。やむをえず、シウマイとビールはリビングで味わうことになった。残念。