岩手で観る松本竣介

生誕100年松本竣介展

今年のゴールデンウィーク、無謀にも妻の実家がある岩手に帰省することにした。渋滞が嫌なので最初渋っていたけれども、盛岡にある県立美術館にて松本竣介展が開催中であることを知り、ならばと行くことに決めた。ところが岩手に向かった日は、運悪く大雨が東日本を襲った三日だった。断続的に渋滞が続き、また途中仙台では一区間が大雨のため通行止となっており、いったん高速から下りて仙台市内を次のインターチェンジまで向かうことを余儀なくされるなど、結局東京から14時間かけて岩手に到着した。こんな渋滞のなか車を運転するのは、もうこりごりである*1
しかしながら、松本竣介展は、渋滞の列や頻繁に車線を変更して割り込みするようなルール無視の車たちに毒づいて嫌な気分になったり、大雨の中12時間も狭い車内で過ごさざるをえなかったという苦労を一掃してくれるような、充実した内容だった。久しぶりに展覧会に大興奮した。あたりまえなのだが、展覧会の空間に入り、ずらりと松本竣介の絵が懸かっているところにまずワクワクする。さらに絵を観ながら進んでいくにつれ、仕切られたその先に見える部屋にある絵もすべて松本竣介であることに、言葉では表現できないような気分の高揚をおぼえた。約120点の油彩と素描が並ぶ大回顧展だ。
展覧会は、松本竣介の画家としての活動をほぼ時代順に区切り、前期・後期・展開期の三部から構成されている。もっとも充実していた後期は、人物と風景、ふたつのテーマに分けられている。前期では青色が特徴的な、クールな都会風景が印象深い。いっぽうで、「茶の風景」と名づけられた、褐色主体の風景画がある。ことほどさように松本竣介の絵は、青と茶というふたつの色が主体となっている。また、前期のなかでも後半期に観られるようになる、都会風景をバックに、そのうえに線描で人物を描いて幻想的なイメージを醸し出すモンタージュ技法を用いた一連の作品がいい。野田英夫の「帰路」を思い起こさせる。
後期の人物では、自画像や、有名な「立てる像」といった、自分の姿を描いた作品がやはり目立つ。ただやはりわたしの松本竣介作品の好みは風景画に偏ってしまう。無国籍風の匿名性を帯びたとキャプションで解説される一連の女性像があったが、あまり心が動かされない。
それら風景画が後期の風景のパートでこれでもかという圧倒的な存在感で迫ってくる。前期の風景画は都会の喧噪を描いたのに対し、後期のそれらは「無音の風景」と呼ばれる静謐さを帯びているという。たしかにそこからは何も聞こえてこない。聴力を失ったという竣介の個性がこれらの作品に強く投影されているのだろうか。
匿名性を帯びた人物像とは対極的に、これら風景画は強い具体性を発している。「丸内風景」「新宿の公衆便所」「議事堂のある風景」「霞ヶ関風景」「ニコライ堂」など、タイトルに地名が盛り込まれている絵はもちろんながら、「車庫近く」「白い建物」「市内風景」「並木道」「風景」「駅」「運河風景」など、具体的地名がなく匿名性をもっている作品ですら、そこからは実際に街角に立ってスケッチしている松本竣介の姿が浮かんできて、そこを訪れてみたいという欲望にかられてしまうのである。
その最たる作品が「Y市の橋」だろう。展示リストを見ると、今回の展覧会では、素描を含め11点もの「Y市の橋」が展示予定である*2。前期後期に分かれているため、前期の今回はこのうち7点が展示されていた。それでも、美術館のおなじ壁面におなじ画題の絵、とりわけ松本竣介という画家を代表するような作品が7点も横に並んでいる様子は壮観であった。最初は一点一点じっくり観て、そのあと7点の「Y市の橋」がすべて視界に収まるところまで距離を置き、すべてを視野に収めながら眺めて悦に入る。これほど見せられると、実際の「現場」を訪れたくならないほうがおかしい。帰宅後、竣介作品の現場を探訪した洲之内徹さんの文章を読みたくなり、それが収められている『気まぐれ美術館』*3新潮文庫)を書棚から抜き出したのは言うまでもない。
松本竣介は、戦後まもなくの1948年、肺炎をこじらせて36歳という早すぎる生涯を閉じる。彼にとっての戦後という時間はあまりにも短かったわけだが、東京の焼跡を描いた「焼跡風景」などは、まるで描かれた場所がいまだに燃え続けているような赤褐色が特徴的で、以後の作品もほとんどが褐色主体になる。テーマも人物像が多くなり、また描き方もキュビズム風の抽象的な方向に向っている。「晩年」はこのように作風が変化したのかということを初めて知った。
充実の松本竣介展を観たあと、常設展示にも足を運んだ。この美術館では、「松本竣介舟越保武展示室」「萬鐵五郎展示室」というふたつの常設展示室を設け、郷土にゆかりの芸術家を顕彰している*4。館蔵の松本竣介作品は、ふだんでも観ることができるのだ。うらやましい。
今回竣介作品が特別展として集められたあとの「松本竣介舟越保武展示室」では、竣介・舟越と三人展などを開催し、交流のあった麻生三郎作品が展示されていた。さらに隣の萬鐵五郎展示室では、あの奇妙な自画像(「赤い目の自画像」「雲のある自画像」)など、たくさんの萬作品が懸けられていた。以前東京国立近代美術館で開催された「ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945」展のとき、多くの萬鉄五郎作品を目にし、「これだけの数の萬鉄五郎作品を観たのははじめてであった。大満足」と書いたが(→2011/11/25条)、今回はそれ以上の萬作品を観ることができたように思う。大大満足。麻生三郎作品と合わせ(ただ個人的には、輪郭がはっきりしない麻生作品はあまり好みではない)、松本竣介展に来て三倍得したような気分になる。
論稿編と各種資料も充実した図録は400頁を超える浩瀚なもの。ずしりと持ち重りのする図録をめくっているだけで気分がいい。この展覧会は、来年にかけあと4館に巡回する大企画だ。スケジュールは下記のとおり。

世田谷美術館松本竣介展をやることは、今回の岩手県立美術館の企画を知る前に知っていたが、巡回した一番最後がここなのか。松本家のお墓があり、竣介も眠る島根を除いて、すべて行ってしまいそうだ。後半展示の作品を観ることができなかったわけだから、少なくとも葉山と世田谷には行って、それらをフォローしたい。宮城県美術館もちょうど夏休みの時期。山形から駆けつけてしまいそうだ。
海を見晴らす絶好の立地と、ひろびろとした明るいギャラリーの葉山館や、おそらく洲之内コレクションと一緒に観ることができる宮城県美術館など、たぶんおなじ絵でも美術館ごとに違った印象が与えられるのではあるまいか。その違いを感じながら松本竣介作品を味わうのも、また別の楽しみである。

*1:ちなみに戻ったのは五日であり、途中休み休みして11時間くらいかかった。

*2:このほか、今回の展示リストには入っていない、東京国立近代美術館の「Y市の橋」もある。

*3:ISBN:4101407215

*4:舟越・萬の二人は岩手生まれ、竣介は2歳から17歳までを岩手で過ごす。