ガード下の発見

「ガード下」の誕生

地方都市から上京してまず驚くのが、異常に発達している鉄道網である。とりわけ地下鉄。ある路線から別の路線へ乗り換えるという“高等技術”を使うことに尻込みして、東京駅の地下道を使って大手町駅まで歩いていったことがあった。あれは何線に乗ろうとしたのだったか。東京駅丸の内口と八重洲口をむすぶ地下連絡道を通るたび、そこから大手町駅へと伸びる地下道を見やって、過去の自分を思い出し苦笑する。
もっとも、地方都市といっても仙台なので、地下鉄というインフラそのものに面食らったわけではない。むしろ逆に、高架の鉄道というものがカルチャーショックだったかもしれない。しかしこれも新幹線があるから高架の鉄道そのものではなく、その下の空間に、と言いかえるべきだろうか。つまり「ガード下」である。小林一郎さんの『「ガード下」の誕生―鉄道と都市の近代史』*1祥伝社新書)を読んで、そうだったことを思い出させられた。
たとえば通勤に使う路線は、家から通うとすれば、最初高架で、途中から地上(土手上)を走り、地下へと入る。最寄駅は高架の下にある。駅といえば「駅舎」があたりまえの地方人にとって、高架橋に駅名が表示されていることが不思議だった。駅を出てその前後を見ると、高架下にずらりと飲食店が並ぶ様子は壮観だし、高架下にあるスーパーも物珍しかった。いまや完全に慣れてしまったので、本書を読むまでそういうカルチャーショックがあったことを忘れていたのである。
本書はまずガード下という空間を定義し、その次に、魅力的なガード下空間十二箇所が紹介されている。いろいろと目から鱗が落ちる思いがした。たとえば高架の建築にも“美”があること。JR浅草橋駅などはその典型だ。路線幅の空間が限られるという都会特有の条件のため、高架の桁には線路しか敷けず、ホームはその外側に設けざるをえない。高架の外側上空にホームが張りだすわけである。その張りだしたホームを支えるための、逆L字形になっているキャンティレバー(片持ち梁)の曲線の連続が醸し出す美しさ。張りだしたキャンティレバーの下は、コリドー(回廊)的な空間を形づくる。小林さんは文化財級であると太鼓判を押す。こんなふうにガード下(ガード脇)を見たことがなかったので新鮮だった。
新橋駅あたりだったか、歩いていて高架の下に路地裏のような狭く薄暗い小道を見つけ、少し怖かったがそれを好奇心が上回って突入していったこともある。おそらく、本書で紹介されている有楽町駅と新橋駅間にある「インターナショナルアーケード」だろう。通路両側はいわゆるシャッター商店街化してひどく寂れていたが、名称と相まって、東京独特の空間なのだろう。
京成町屋駅前後の高架下に一般の民家があることにも驚いた。電車の騒音があるので、お店や事務所、駐車場といった使われ方が普通だと思っていたからだ。本書でも実際に居住している人の談話が紹介されているが、慣れてしまえば関係ないという。たしかにそうなのかもしれない。町屋駅といえば、その高架下が映画の重要な舞台として設定されている傑作「人間狩り」(1962年、日活、松尾昭典監督)を思い出す(→2006/9/5条)。もっとも映画における町屋駅高架はセットだそうだが。
新しい高架下のあり方として気になったのは赤羽駅。駅北側にあるスーパー「アルカード」がパリのパサージュを思わせるガラスの天井となっているのだという。最初は半信半疑だったが、本書収載の写真(193頁)を見るとなるほどと思わされる。一度訪れてみたくなる。小林さんはこのように赤羽のパサージュを評している。

パリのパサージュでは構造体としての強度をもち、かつ加工性がよく、美しさを兼ね備えている大理石を用いていたが、赤羽のパサージュは現代の素材を用い、それにデザイン性を加えている。各店のエントランスには面一にならないよう橋脚を前面に出して凹凸を演出し、リズム感を示しているのだが、この柱、実は視線を上に向けると、その先は空調設備となっている。ダクトの配管を外装材で覆い、柱をデザイン化していたのだった。確かに空気は淀むはず。機械的な強制換気は必要。それを天井や壁面にむき出しにするのも機能美の美しさでみごとだ。
著者は近代建築がご専門らしく、浅草橋駅もそうだが、そうした視点から見るとガード下も立派な建築物となる。赤羽のパサージュを「ガード下の一つの原点」とまで評価しているのを読むと、本当に行きたくてそわそわしてしまう。