ふたつの写真展からさんま坂へ

ロベール・ドアノー展

「幻のモダニスト」という名前に惹かれ、観に行こうと思っていたところ、はからずもほぼ同時期にロベール・ドアノー展も開催されるということで、ふたつ一緒に観てきた。こんな展覧会を同時開催する写真美術館は素晴らしい。
堀野正雄という写真家は、この展覧会までまったく知らなかった。「新興写真の旗手として、日本の近代写真の成立と展開を語る上で欠かすことのできない写真家」なのだそうだ。
村山知義と組んだ『犯罪科学』誌の写真(都市風俗が多い)など、たしかに戦前のモダニズムの匂いがする。女性をモデルにした写真も多く、多くが朗らかな表情で収まっている。戦中には大陸にも渡り、そこでも多くの女性が被写体となった。といっても彼女たちはふつうの生活者である。カメラに向かって微笑む写真は、侵略者側が被侵略者側を撮ったものとは思えないほどの明るさに満ちている。
こうした堀野作品の性格が戦時中の国家に利用され、「明るい侵略地」像を伝えるものとなったゆえなのか、堀野は戦後写真家たることを放棄したという。「筆を折る」というのは物書きが書くことをやめる慣用表現だが、写真家が撮ることをやめるばあいは「レンズを外す」とでも言うのだろうか。ともかくも、作風が時代の風の流れと合ってしまったために起きた皮肉なのだろうか。もっともこのことは、堀野の戦後の生き方を決めてしまったわけなので、「皮肉」とひと言では片付けられない重さを持っているわけだが。
堀野正雄展は三階なのに対し、ロベール・ドアノー展は地下一階で開催されている(堀野展700円、ドアノー展800円、ふたつセットだと割引され1300円)。
ドアノーは、堀江敏幸さんの『郊外へ』で刻まれた名前である。これに向けて『郊外へ』を再読し、仙台出張にも携えていったのだが、結局仙台で購った『仙台ぐらし』『言語小説集』のほうを先に読んでしまい、読みさしのままドアノー展へおもむいた(行き帰りの山手線でも読みついだ)。
ドアノーの撮るパリ郊外。そしてパリの町、パリの人びと。なんと「絵になる」のだろう。町角で抱擁し、接吻する恋人たちのスナップがたくさん展示されていたが、どれひとつとしてその町の空気にとけこんでいないものはない。自分の望んだ瞬間を得るために待つことを厭わない、待つことのすばらしさ、ドアノーの作品には、そんなふうに待ったあげくに得た奇跡の瞬間が輝いている。
図録『Retrospective Robert Doisneau*1には、「近くて遠い場所から―ロベール・ドアノーと郊外」と題して堀江敏幸さんが寄稿されているのも、堀江作品に導かれてドアノーに興味を持った者としては嬉しい。
気分よく写真美術館を出たあとは、ぶらぶらと目黒川まで坂道を下っていくことにした。道路の住所表示を見ると、目黒区三田とある。ここが、丸谷才一さんが力説してやまない「目黒の三田」なのか。三田といえば慶応義塾がある港区三田だけでなく、目黒区にもあるということを、そこの住人である丸谷さんはエッセイのなかでくりかえし説いている。
たとえば『月とメロン』*2(文春文庫)所収の、その名も「目黒三田論」という力のこもった(ふうに見せている)エッセイでは、「目黒三田」の説明を辞典風にまとめている。

ウェスティンホテル東京ポーランド大使館、アルジェリア大使館、日の丸自動車学校があり、この学校から西へ下る急坂は、さんま坂と呼ばれる。(157頁)
この「さんま坂」というのはほかならぬ丸谷さんの命名であり、別にこれが公的な坂の名称となっているわけではない。丸谷エッセイを読むと、自然に目黒三田とさんま坂が頭に刻み込まれるのである。とすれば、このあたりに丸谷さんのお住まいになっているマンション(とさんま坂)があるのかと、目黒三田の住居表示を確認したわたしは、横丁を入り、目黒川へと下ってゆくそれらしき坂道を探すことにした。
歩いているうち、敷地内から赤い車が次々とはき出されるように道路に出てくる黒っぽい建物が目に入った。自動車学校だった。恵比寿から目黒方向、南へ向かって自動車学校の道路をはさんだ反対側、右手を見やると、急な坂が下っている。これではないかという東京散歩者の勘が、足をそちらに向けさせた。坂の上や坂の途中に、いかにも年季が入っているマンションがある。坂道は二段構えになっている、風情のある急坂だ。
たぶんこれが「さんま坂」に違いないと踏んで目黒川方向に下った。帰宅後「目黒三田論」を確認して、上記のように坂が自動車学校のところとあったので、自分の勘は図星だったと喜んだのである。この季節、目黒川は桜の名所としてたいへんな人出になるはずだが、今年は開花が遅い。川のほうに張りだしている枝の先のほうでほころんでいる花がちらほら見られるだけで、あとはまだ蕾である。今週あたりが開花・満開となるのだろう。
目黒三田論、さんま坂論、ついでながら「阿部定」論。丸谷好みの話柄はいくつかあって、重複をいとわずこれらの話題を再論三論している。わたしもこれは以前書いたかもしれないが、どこかの出版社が人名・地名・書名・件名索引付で『丸谷才一エッセイ全集』を出してくれないものだろうか。これがあれば、目黒三田もさんま坂も一発で見つけられるのに。