西片町と阿部家

伯爵家のまちづくり

  • 「収蔵品展 伯爵家のまちづくり―学者町・西片の誕生―」@文京ふるさと歴史館

18日までということで、昼休みに観にいく。ぎりぎり間に合った。特別展・企画展というほど大規模なものでなく、地下の展示室を全面使ったものではないこぢんまりとした展覧会であったが、個人的にはなかなか面白かった。
江戸時代に福山藩阿部家(幕末の老中阿部正弘を輩出した家)の藩邸がいとなまれた地がそのまま明治維新を経て伯爵阿部邸となり、阿部家によって邸宅周辺の土地が住宅地として開発されてゆく。帝国大学が近いということもあり、学者や文人が数多く住んだ。配布されていた「西片に住んだ、主な学者・文化人MAP」によれば、上田敏・木下杢太郎・今日出海高山樗牛・滝田樗陰・田口卯吉・夏目漱石武田五一二葉亭四迷魯迅和辻哲郎などなど。大正期には伊東忠太牧野富太郎も住んでいる。西片の西方の崖下丸山町には樋口一葉が住んだ。一葉終焉の地でもある。
会場の一角に地図が置かれ、来場者で西片にゆかりがある人たちが、付箋にコメントを書き込んでゆかりの場所にぺたりと貼り付けている。その趣向も面白いし、書かれているコメントも味わいがある。
陽気のいいときなど、本郷から弁当を提げて清水橋(から橋)を渡り、西片の真ん中にある西片公園まで歩いてそこのベンチで孤独を楽しむことがある。この公園も阿部家によって開発された公園であるという。邸内にあった大椎木がシンボルであったが、いまは枯死してしまったとのこと。はてその痕跡がいますぐ思い浮かばない。それはともかく、地元の人たちはそこを「阿部様公園」と呼んでいる。「様」と付けられているあたり、地元の人びとにとって阿部家がいかに尊敬されていたかがわかり、いい話である。
公園の設計図なども展示されていた。現在の公園の輪郭とほぼおなじであり、中の桜の木を囲んで(公園設置時にはない)半円形にベンチがしつらえられているあたりも、いまとほとんど変わっていないのではあるまいか。これには驚いた。公園は昭和5年頃できたという。ここにも歴史の厚みを感じる。もう少し暖かくなったら、また弁当を持って憩いにいこう。「阿部様」の歴史を感じるために。
わたしが西片町というところを知ったのは、池内紀さんの連作短篇集『街が消えた!』*1(新潮社)である。いや、この言い方はかならずしも正確ではない。1992年に本書を購って読んだ当時は仙台住まい。のちに東京に住むことになろうとは予想だにしていない。
ところがひょんなことから14年前に東京に移り住み、本郷界隈を勤務地とすることになり、その近くに西片町という閑静な高級住宅地があることを知って、かつて読んだ池内さんの短篇を思い出したという順序になろうか。池内さんはすでに退職されており、「池内さんとおなじ学校に勤務している」ということには残念ながらならなかった。
『街が消えた!』は、本郷の大学に勤務する建築史の先生と、事件が起きたときにその先生に謎解きをお願いしにくる美しい女性刑事を軸に展開する連作。この本の最初の一篇が「いの一番―西片町」と題されている。阿部家が西片町を開発したとき、地番として“いろは”を使ったのである。今日の展示でもそのことが紹介されていた。

阿部家では、略図を配ったり、伊呂波号を示した傍示を建てるなどして周知をはかりましたが、始めて訪れる人にはわかりづらく、西片町付近の交番では、西片町の家の所在を尋ねる人が多かったといわれています。
とある。昭和39年に住居表示が変更されたという。バブル景気末期の時代ではなおさら「いの一番」ではわからない。バブルによって“街が消えた!”という現象を身近に感じていたからこその建築探偵連作短篇集であったなあと思わされ、西片町に目をつけた池内さんの慧眼が光る本であるが、残念ながら文庫化されていない。