裸体画づくし

締切が迫った仕事の校正のため、竹橋の国立公文書館に行く。そのあとはお決まりのコース。隣の近代美術館へ。金曜は20時までということで、公文書館の開館時間ぎりぎりまで調べ物をしても、余裕で観ることができるのである。
今回の展覧会はつい数日前、「何かいい展覧会はないものか」と展覧会情報サイトを見て知った。こんな展覧会をやっていたとは。東京国立近代美術館は宣伝しないというか、商売っ気がないというか。もったいないことだ。
サブタイトルにあるように、明治から戦前にかけての日本の洋画家による裸体画の企画展示である。明治の裸体画といえば、まずはおなじみの黒田清輝。下半身を布で覆われて展示されるという事件を起こした「裸体婦人像」(静嘉堂文庫美術館蔵)も展示されていた。もちろんいまは布はないが、なんてことはない、布が覆っていた下半身には「何もない」のである。モザイクや墨塗りではないが、布で覆えば、かえって興味をかき立ててしまうのではないか。
黒田清輝の裸体画を満喫したあとは、さらに興奮の裸体画が。萬鉄五郎である。萬の絵は、この近代美術館が所蔵する重文「裸体美人像」がある。所蔵作品展を観におとずれると、たいていお目にかかることができる。今回面白いのは、岩手県立美術館にあるこの作品の下絵的なデッサンや、町立久万美術館にあるおなじ構図の習作油絵と一緒に並べられていること。この絵は妻をモデルにしたらしく、図録には寝そべる妻の写真が掲載されている。そのほかキュービズム的な「もたれて立つ人」もまた、いくつかの習作・類似作品とともに掲げられている。これだけの数の萬鉄五郎作品を観たのははじめてであった。大満足。
村山槐多の「裸婦」や「尿する裸僧」と再会したのも嬉しかったが、今回萬鉄五郎とならんで収穫だったのは、熊谷守一の裸体画だった。「モデルから不必要な細部を省き、明部と暗部の基本的な組み立てだけを捉えるため、両目を細めて視覚を絞って」描いた可能性があるという作品群。輪郭がはっきりととらえられず、油絵の具のマティエールと、大胆な筆づかいで裸婦をキャンバスのなかに浮かび上がらせる手法が素晴らしい。いままで熊谷守一作品にぐっと動かされることはなかったが、今回は大きく心惹かれるものがあった。
そのほかは古賀春江小出楢重の裸体画が複数ならび、これまた楽しんだ。ふつうの展覧会で裸体画にお目にかかっても、近づいたり離れたり、じっくり舐めるように眺めるということは、どうもはばかられてしまうのだけれど、裸体画展ということであれば、それも気にする必要がないのでありがたい。でも自意識過剰の中年男の悲しさよ。説明員の方の目が気になってしまい、やはり落ち着かない。
常設展である所蔵作品展もついでに観る。国立近代美術館の強みは、こちらも企画展に連動させて作品を揃えられることだろう。版画も写真も、日本画も洋画も、裸体が出てくる作品がどうだと言わんばかりに出展されており、圧巻であった。里見勝蔵「室内(女)」など、色使いと女性のパーツの描き方が独特でいいなあと思う。
ひとりの画家の作品展もいいけれど、こうしたテーマ横断的な展覧会もまた、なかなかの魅力に満ちている。