第95 元八まんふたたび

川本三郎さんの代表作荷風と東京』がとうとう文庫化された。岩波現代文庫から二分冊で出た。
このうち上巻収録の第十八章「「偶然のよろこびは期待した喜びにまさる」―元八まんへの道」を再読していたら、むずむずと散策欲が湧いてきた。ちょうど砂町辺に行きたいところがあったので、いい機会と出かけることにする。
「元八まん」、つまり富岡八幡宮門前仲町に移される前に所在していた故地が砂町(南砂)にある。富賀岡八幡宮として、いまも小さな神社が建っている。やはり以前、荷風の随筆「元八まん」(あるいはそもそも『荷風と東京』だったかもしれない)に触発されてこの地を訪れ、その足で近くにある古本屋「たなべ書店」を発見、まさしく「偶然のよろこびは…」と興奮したものだった。いま記録をたぐれば、それは2001年5月のこと*1。8年半も前のことになってしまう。
それからたなべ書店には幾度か訪れたことはあるが、元八幡はそのとき以来ひさしぶりの再訪となる。
やはり荷風のあとを追って元八幡を訪れた川本さんが書いた、「社殿の並びには保育園があり、子どもたちがたくさん遊んでいる。遊園地らしきものもある」という景観は、いまもそのままである。もとより日曜の昼下がり、境内にあるブランコでは、小さな女の子が一人、勢いよくこいでいる姿しかない。
社殿裏にある富士塚も記憶のままで、ただ昨年立てられた江東区の解説板のみが新しい。解説板には昭和30年に撮影された富士塚の写真があって、この当時は現在地の北30メートルのところにあったという。脇に水路が流れている。原っぱのなかに小山があるという印象。荷風が見た昭和初年はもっと寂れていたのだろうか。
八幡宮を詣で、8年前と同じく「元八幡商店街」を西に歩いてゆくと、無事たなべ書店が店を開いていた。「無事」などと書くのは、かつて訪れたことのある古本屋を、記憶をたよりに再訪してみるともう跡形もなかったという経験があまりに多いからだ。
品揃えもむかしと同じく、充実したものだった。隣にある区の野球場で草野球をしている情景も前と同じ。変わらないよさ、というものはたしかにある。
文庫本の品揃えがすばらしいので、ひさしぶりに4冊も買い込んだ。徳富蘇峰『近世日本国民史 織田信長(三)』(講談社学術文庫*2、奥野高広・岩沢愿彦校注『信長公記』(角川文庫)*3ジョルジュ・シムノン『メグレと消えた死体』(榊原晃三訳、河出文庫)、同『メグレと殺人者たち』(長島良三訳、河出文庫*4の4冊。たなべ書店は文庫は基本的に定価の半額なので、これで1300円という安さ。
今度出る拙著『織田信長という歴史』(勉誠出版*5でも書いたが、『信長公記』(信長記)のテキストとしては、今日買った角川文庫版がもっとも質が高い。ただし品切れになってからしばらくたっており、見つけたらとにかく買っておこうと考えていた。たなべ書店で出会うとは。
信長の本2冊にシムノンの小説2冊。店の人には、この人どういう趣味をしているのだろうと訝しまれたかもしれない。シムノンは、このところの“休養期間”中に読んだなかでも印象に残った都筑道夫さんの都筑道夫の読ホリデイ』(フリースタイル)で繰り返し賞賛されており、もう一人の都筑さんのお気に入りエド・マクベイン(87分署物)とともに、気にせずにはいられなくなった作家であった。河出文庫に多く入っていたメグレ物をこれから少しずつ集め、読んでいこうと思っている。
シムノンといえば、新しく翻訳書が出たばかり。『倫敦から来た男』長島良三訳、河出書房新社)。先週最寄り駅近くの書店に並んでいたので、生協書籍部に入荷するのを心待ちにしていた。ところが例によって書籍部は新刊に鈍く、入れてくれそうな気配がまったくない。業を煮やして、今日の帰り、最初に見つけた書店で購入してしまった。これでシムノンが3冊。しばらく愉しめそうである。
荷風と東京(上) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)荷風と東京(下) 『断腸亭日常』私註 (岩波現代文庫)都筑道夫の読ホリデイ 上巻都筑道夫の読ホリデイ 下巻倫敦から来た男--【シムノン本格小説選】