剽窃ではない

前回書いた拙著刊行のお知らせに関係して、ひとつおことわりしておかなければと思っていたことがあった。『織田信長という歴史』という書名についてである。
著者の意図は、こんなものである。
織田信長という人物そのものについて書いた本ではないけれども、信長を描いた書物(史料)『信長記』について研究した成果を書いた本である。『信長記』という「歴史叙述」は、たとえば「歴史」という書物に「織田信長」というレッテルを貼ったようなものだろう。あるいは逆に、「織田信長」という、歴史上の人物をかたどったひとつの入れものが「歴史」そのものであり、それを象徴的に示すのが『信長記』という書物である。
どうもうまく説明できないが、そんなことを、簡潔でインパクトのあるタイトルで示そうとして、かく決着した。もちろん販売戦略的な意図もまったくないわけではない。メインタイトルに「織田信長」を入れたほうが、何かと目につきやすく、購入意欲もそそるだろうということだ。いっぽうで『信長記』を論じた本であるという主張も込めたいので、これを副題で表現することにした。
副題も抽象的な感じをあたえるだろう。『信長記』を論じることにより、その背後にあるそれが書かれた時代、それを書いた人、伝えた人びとのことも論じたい、たんに『信長記』の史料研究に終始した本ではないという意図を込めた。そのとき澁澤龍彦の『幻想の彼方へ』が頭にちらついていたかもしれない。いずれにしろ、ガチガチの研究書ではないので、一見してはっきりわかりやすいよりは、多少含みをもたせ、立ち止まらせるような書名がいいだろうというのが、わたしの考えである。
剽窃というのは、この副題ではなく、メインタイトルのことである。
先般、小林信彦さんの新著黒澤明という時代』文藝春秋)が出て、あっと思った。この著書については版元サイトの来月の新刊予告ではじめて知った。発売と同時に、同時期に発売された堀江敏幸さんの新著『正弦曲線』中央公論新社)と一緒に、たまたま立ち寄った神田の三省堂書店で購った。書店にならぶのを待ち望んでいた新刊が2冊もほぼ同じ時期に出るのは、最近では滅多にないことであった。
さっそく『黒澤明という時代』を読むと、これはもともと2007年から『本の話』に連載された文章をまとめたものだという。連載時もこのタイトルだったのだろう。『本の話』連載のことはまったく知らなかった。
ひるがえって拙著の書名は、執筆のかなり早い段階(去年暮れあたり?)で仮題として付けていたように記憶する。だから剽窃ではなく、結果的に似たような書名になってしまったと言いたいのだが、まあ「という」の使い方が同じだけだし、分野も違えば部数も違う、性格も違う本なので、許してもらえるだろうか。小林信彦ファンとしては、偶然にしろ同じ時期に出す本が似たタイトルであるのは、とても嬉しく、くすぐったい感じがする。
さて、『黒澤明という時代』は、「自分の見たものしか信じない」という小林さんが書いた実感的黒澤映画論である。「あとがきに代えて」の本タイトルが「自分の舌しか信用しない」であり、執筆にあたり設定したルールの第一に、「作品を観る以外、自分が体験したこと、直接見たり、耳にしたこと以外は、一切書かない」と謳っている。
これはいつもながらの小林さんの信念であり、そういわれると、遅れてきた鑑賞者としては、映画が製作公開されたその時代に、リアルタイムで衝撃(あるいは失望)を体験できてうらやましいと感じる以外、何も文句がいえなくなる。
本書を読んで観たいと思った黒澤映画。「素晴らしき日曜日」(以前最初のほうだけDVDで観て途中でやめた)、「醜聞」、「酔いどれ天使」、「野良犬」「生きる」(この2作は一度観た)、「天国と地獄」(実は通して観たことがない)である。小林さんが主張するように、スクリーンで観たほうがいいと思うのだが、黒澤作品はなかなか上映機会がない。
黒澤明という時代」を自分の生きてきた時間に重ね合わせると、ここ数年映画をよく観るようになる以前、まれにしか映画館に足を運ぶことがなかったわたしにしては、意外に黒澤作品との接点がある。
「影武者」は1980年4月公開のようだが、だとしたら中学校に進学したばかりの頃。父親と二人で観に行ったはずだ。歴史好きの息子に慫慂されて、親が連れて行ってくれたのだろう。ほかに父親と観た記憶がある映画は、「二百三高地」と「日蓮」。全部歴史映画だ。
「影武者」は、もともと主役武田信玄を演じる予定だった勝新太郎が降板し、仲代達矢に交替したということで当時話題になったが、その裏話が『黒澤明という時代』に書かれており、はじめて真相を知った。信玄およびその影武者を演じる仲代達矢と、信玄の弟武田信廉を演じる山崎努がひどく似ていて(たしかこの兄弟もそっくりであることが話題になったと思う)驚いた。
もうひとつ、黒澤監督の遺作となった「まあだだよ」も封切り時映画館で観た。93年4月公開だという。結婚するだいぶ前、付き合い始めてまもないいまの妻と二人で観にでかけたと記憶する。二人で観た最初の映画が、これだったかもしれない。
すでに内田百間好きであったから、自分の好きな作家を「世界のクロサワ」が映画にしてくれたということで、妻に自分の嗜好はこういうものであると主張したかったのに違いない。「リアルタイムで観た」と語ることができる、めずらしい映画監督が黒澤明であるわけだが、当時すでに「天皇」と称される世界的大監督だったから、「影武者」以降ならば多くの人がこのように自分史と黒澤映画を語ることができるのかもしれない。
黒澤明という時代正弦曲線