荷風全集のまえに

あと一週間で『荷風全集』の刊行がはじまってしまう。大学生協書籍部に予約購読の申し込みをしたいのだが、そのまえにやらなければならないことがある。予約購読をしていながらまだ引き取っていない本を引き取ること。その本というのは、『決定版三島由紀夫全集』(新潮社)の補巻・別巻の2冊。
「三島全集なんて、とうの昔に刊行を終えているんじゃないの」と訝る人もいるだろう。もちろんそのとおり。ありがたいことに、書籍部は棚に余裕があるかぎり、予約注文していた本をずっと置いてくれる。本当は何ヶ月以内に引き取らなければキャンセルという規則があるはずだが、大目に見てくれる。こちらもそれに甘えてしまう。補巻が出たのは2005年12月、別巻(映画「憂国」のDVD)は2006年4月に刊行されたものをようやく購入したのである。
以前42巻を購入したのが2006年2月だから(→2006/2/25条)、それからですら3年が経過してしまっている。いくらなんでも間をあけすぎた。『荷風全集』ではこんなことにならないよう、気をつけなければならない。
さて、今回購入した補巻では、男性同性愛誌に榊山保の変名で発表した短篇「愛の処刑」などが入っている。三島作と言われながら確証がなかった作品。解題によれば中井英夫のもとに本篇を書いた三島自筆の大学ノートが残されており、三島作と確定され、晴れて収録の運びとなった模様。
面白いのは「会計日記」だろう。以前県立神奈川近代文学館で開催された三島由紀夫展で実物を見たが(→2005/5/3条)、三島の東大生時代、昭和21年から22年にかけての支出記録である。
支出記録といっても、何にいくら使ったかでその日の三島の生活をうかがうことはできるし、あとになるほど日記的記述が多くなって面白くなる。ただあれだけのぶ厚い本(900頁)に横組みで組まれているので、少し読みにくいのが難点。
昭和22年6月18日、東京帝国大学法学部4年平岡公威さんの一日。

正午行政法プリント売出の為大学へゆく。一時佐々嬢と有斐閣で待合せ。それからBrazil Coffeeへゆきお茶をのむ。一時間あまり話し、それから、大学の三四郎池畔で又話し、刑訴演習をサボつて了ひ、五時近くまで話し、二食の下の喫茶室でDanceをし三、四番踊り、(以下略)
授業をさぼって女の子と喋りつづける平岡さん。ダンスにまで興じている。「二食」(生協の第二食堂)というのがいまある場所と同じなら、「二食の下の喫茶室」というのはいまの生協書籍部にあたるのかもしれない。俄然三島由紀夫の息づかいが近づいてきたようだった。
また同じ年6月7日土曜日の平岡さん。
帰途、日劇総務石川さんにSubaruの切符頼む/待つ間、エンタツアチャコの芝居と音楽五人男といふ下らない活動を半分居眠りし乍ら見てゐる。
結構三島は「活動」こと映画を観ていることが日記からわかるのだが、下らないと散々の「音楽五人男」というタイトルから連想されるのは、古川緑波主演の「東京五人男」だった(→2005/11/2条)。その姉妹編かもしれぬ。“日本映画データベース”で調べてみるとやはりそのようであった。
さっそく古川ロッパ昭和日記 戦後篇』の昭和22年を繰ってみる。
「音楽五人男」は、3月12日クランクイン、4月23日クランクアップ。“日本映画データベース”によれば6月3日公開らしいが、ロッパの日記(4/23条)には「五月二十日封切の由」とある。しかしロッパは5月26日に試写を観ているから、封切日はデータベースにあるように延び、三島は封切直後の6月7日に観たということなのだろう。
それでは主演ロッパは試写を観てどのような感想をもったのだろうか。
シナリオで見当はついてゐる。これでいゝ映画になるとは思ってゐなかった、そしてその通り、たゞ全篇やたらに音楽が流れてゐるといふだけで、まことにつまらない。ロッパ以下役者も皆よくなし。高田稔が一ばんよし、彼を推薦したことを誇りたい。ロッパは失敗、柄でなし、歌もティパレリーのみ快く歌ってゐる。扮装も手を抜いてゝ駄目。音楽の古関裕而は、全篇殆ど新作曲、努力のわりに恵まれないが、音楽としては成功。キャメラ、一と通り。これだけの人を集め乍ら、勿体ない。
切符をもらうための待ち時間をつぶすため観た映画とはいえ、半分居眠りされつつ、「下らない」と酷評されるのも致し方ないということか。
それにしても、自ら主演した映画を客観的に分析するロッパのまなざしの犀利なこと。自己批判含め辛口だ。日記から日記へ飛びまわる、ああなんて愉快なのだろう。
決定版 三島由紀夫全集〈補巻〉補遺・索引古川ロッパ昭和日記 戦後篇?昭和20年‐昭和27年