華麗なるフィルモグラフィ

愛すればこそ スクリーンの向こうから先の週末、新聞書評欄を見て欲しくなり、二駅先の大書店まで駆けつけさせた本とは、香川京子(勝田友巳編)『愛すればこそ―スクリーンの向こうから』*1毎日新聞社)であった。
書評対象として取り上げられていたのではなく、先日読み終えた中野翠『小津ごのみ』(→3/20条)などともに映画に関する新刊本のなかの一冊として、朝日新聞大上朝美さんによって紹介されていたのである。
香川京子ファンを標榜していながら、本書が出たことを知らずにいたのは迂闊だった。ライバル紙の購読者だからと自分を慰める。本書は香川さんの著書、毎日新聞勝田記者の編というたてまえになっているが、実際のところは、勝田さんがまとめた香川さんの聞き書である。だからといって価値が低下するということはない。充実した内容の本だった。
本書には生年は記されていないのだが(女性だからという遠慮で、こういうたぐいの本にきちんと生年を記さないのはいかがかと思う)、まあ中味を読めば察しがつく。ここでは川本三郎さんの『君美わしく』*2(文春文庫)を参照すれば、香川さんは1931年(昭和6)生まれ。
都立第十高女(現豊島高校)卒業後、新東宝に入社し、デビュー作が1950年、19歳のとき、島耕二監督の「窓から飛び出せ」だった。島監督からは可愛がられ、6本に出演したという。「窓から飛び出せ」は、小林桂樹さんらも出演している作品で、前々から観たいと思っているが、まだ果たせていない。
島作品でのデビュー直後の香川さん出演作として印象深いのは、「東京のヒロイン」だ。デビューと同じ1950年の映画。本書には「香川さんにとって忘れられない作品」とある。一時バレリーナを目指していた香川さんは、雑誌に載った長谷川公之のシナリオを読み、この役を演じたいとひそかに念願していたところ、その役が回ってきたのだという。この映画は観た。都会的な雰囲気に満ちていた(→2006/5/4条)。
素朴で清潔、永遠の清純派。川本さんに言わせれば、「白いブラウスの似合う先生」。たぶんわたしも、そういう女優としてのチャームポイントに惹かれたのだろうし、それを考えれば香川ファンはたくさんいるに違いない。
映画黄金時代の昭和30年代は脂の乗りきった二十代後半。本書巻末に付けられた簡単なフィルモグラフィ(この資料欲しさということも本書購入動機のひとつ)を見ると、この時期の出演作品としては、清水宏監督の「しいのみ学園」(1955年)や、成瀬巳喜男監督の「驟雨」(1956年)、豊田四郎監督の「猫と庄造と二人のをんな」(同前)などが印象深い。
もちろん香川さんはそれ以前、昭和20年代後半にもたくさんの名作に出演している。成瀬監督の「おかあさん」(52年)「稲妻」(同前)、今井正監督の「ひめゆりの塔」(53年、未見)、小津安二郎監督の「東京物語」(53年)、田中絹代監督の「恋文」(同前)、溝口健二監督の「山椒大夫」(54年)などなど。
本書は監督や俳優仲間の名前ごとに章立てがなされ、上記した監督以外にも、黒澤明阿部豊中川信夫大庭秀雄渋谷実家城巳代治久松静児吉村公三郎川島雄三山本薩夫内田吐夢など、錚々たる名監督の名前が目次に並び、それだけで読む気をそそられてしまう。
香川さんは大映画会社の専属俳優ではなく、早くからフリーになったことで知られる。叔父が映画プロデューサー永島一朗氏だったという関係もあって、そしてもちろん俳優としての優等生ぶりもあって、フリーになっても仕事が減るようなことはなかった。
本書のなかで、香川さんは繰り返し自分には色気がないということを強調している。たしかに妖艶な魅力をふりまくような役柄は記憶にない。ビキニスタイルの水着姿がまぶしい「猫と庄造と二人のをんな」は珍しいほうに属するが、この役柄は、姿恰好とは違って色気からは対極にある。本書のなかで、「皆さん面白いって言ってくださいますけど、自分では成功とはいえません。あんまり見たくない」と珍しく後ろ向きの自己評価なのだ。わたしは当然「面白い」派。
口絵としてたくさんの出演作品のスチール写真が掲載されているが、とくに「山椒大夫」の撮影現場で、いろいろな角度から香川さんの顔を撮った8枚のスナップが、美しすぎて息を呑む。「青銅の基督」で、毅然とした表情で十字架に架けられる写真にもうっとりする。
去年岩波ホールで観た「赤い鯨と白い蛇」で118本目。今年秋、119本目となる新作「東南角部屋二階の女」(池田千尋監督)にも出演しているという。香川ファンというその理由だけで出演作品を観ることは、ふだん自分が選ばないようなテーマの映画を観ることにもつながる。今後もお元気で活躍しつづけて欲しいものである。