螺旋構造とハードボイルド

ダンシング・ヴァニティこれまでの書き方の原則に反したものになってしまうが、3月ここまでの読了本総浚い第二弾として、二冊の本を並べる。
まずは、筒井康隆さんの新刊長篇『ダンシング・ヴァニティ』*1(新潮社)。簡単にまとめてしまえば、ある美術評論家の身の回りに起きた出来事と評論家の精神内部に投影される夢幻的な出来事が入り組みながらいつもの饒舌な文体で繰りひろげられる饗宴的長篇。
叙述があるまとまりごとに執拗に反復され、反復された部分の中味が微妙にずれながら前に進んでゆく。物語はそれを繰り返しながら展開する。まるで螺旋階段を登っているような、一種の眩暈を誘う構造だ。
物語の一部分に微妙なズレを起こしながら進んでゆくというスタイルでは、『夢の木坂分岐点』を思い出す。学生時代に一度読んで以来、机辺に積んである「筒井山」の頂上近くに置き、いつか再読したいと期していた長篇だ。
ふりかえってみると、ここ数年3月は筒井作品を読む季節となっている。昨年は『巨船ベラス・レトラス』(→2007/3/21条)、一昨年は『銀齢の果て』(→2006/3/11条)と、ここ二年続いている。
オンリィ・イエスタデイ (新潮文庫)次の一冊は、志水辰夫さんの長篇『オンリィ・イエスタデイ』*2新潮文庫)。初めて読む志水作品。なぜ志水辰夫なのかと言えば、これまた川本三郎さんの『ミステリと東京』で取り上げられていた作品だったからだ。
川本さんの志水辰夫論を読んで『オンリィ・イエスタデイ』が気になったけれど、すでに文庫版(講談社文庫)は品切で、古本で見かけるのは新潮文庫の『行きずりの街』程度。人気作家ゆえなのか、刊行点数が多いわりにあまり古本文庫で見あたらない。探しあぐねていたところに、ちょうど新潮文庫新刊として再刊された本書に接した。
なぜいま『オンリィ・イエスタデイ』再刊なのか。『ミステリと東京』のおかげなのか、たぶんそうではなかろうが、少なくとも『ミステリと東京』を熱狂的に読み込んで、そこで取り上げられた作品を読みたいという欲望をかきたてられた人間にとってはおあつらえ向きの機会ではあった。
これまであまり読んでこなかったようなハードボイルド・タッチの作品で、文庫版解説(村上貴史氏)によれば著者愛着の一冊であり、川本さんの本によれば著者が東京を描くことに力点を置いたと述べている作品であるという。
たしかに東京でも隅田川の上流のほう、町屋や尾久のような荒川から隅田川が分流するあたりの荒涼としたイメージ(という言葉の使い方は正確ではなく、あのあたりは荒涼たる空間ではもちろんない。れっきとした住宅地である。小説から受けるイメージだ)が見事で、二つの川に挟まれた地域を取り上げた作品はあまりないだろうと思わされるが、『ミステリと東京』における他の作品ほど、“東京を描いた”観が稀薄である。
好きな書き手の本で取り上げられたという理由だけで、恐らく自分では決して選ばないであろうジャンルの作品を読んでみるのも目先が変わって面白い体験である。