秋田美人のイメージ

木村伊兵衛が秋田、とりわけこのところわたしも縁がある内陸部の横手や六郷の人びとを写真におさめたことは、ちくま文庫田沼武能編『木村伊兵衛 昭和を写す4 秋田の民俗』*1を古本で手に入れて初めて知った。
この「秋田」を含む木村の写真展が東京工芸大であることを知り、かけつけた。工芸大は東京メトロ丸の内線中野坂上駅が最寄駅。中野坂上から神田川の方向に下り、川べりにある。中野坂上から神田川に下る南向き斜面(住所は中野区本町)はなかなか風情のある坂道・階段が多く、住宅密集地でもあるので、気ままにあるいて楽しんだ。
「秋田」を代表する一枚が、「大曲 28.8.6〜16」と題された“秋田美人”の一葉だろう。うっとりするほど美しい女性であり、この写真を見てからというもの、秋田美人の言葉を聞くとこの女性の顔を連想するほどだ。
帰り道。中野坂上駅の真上には、青梅街道と山手通りが座標軸のように交わっている。工芸大はその座標の第二象限にあたる場所にあったのだが、せっかく見知らぬ町まで出かけてきたのだから、ぶらぶら歩き回ろうと思い立った。
工芸大から西にいけば家が遠くなる。このあたりは電車路線が東西並行して延びているので、真北・真南に行くにしても、かなり歩かねばならない。かといって第三象限(南東)の新宿駅方面にいくのも面白味がない。そこで第四象限、すなわち北東方向を目指し、山手線新大久保駅まで歩くことにした。
この第四象限地域は、住所で言えば中野区中央・新宿区北新宿。つまらぬ住所表示だが、昭和30年代頃は中野区小淀町・新宿区柏木あたり。愛用の携帯地図(昭文社『どこでもアウト・ドア 東京 山手・下町散歩』*2)を見ると、西条八十大杉栄旧居跡などがあるらしい。大杉栄旧居と言えば、先日読んだ典厩五郎『探偵大杉栄の正月』*3早川書房、→2007/12/28条)にも描写されている。
同書を読み返してみると、大杉の家は百人町にあったとある(正確には上記のように柏木)。現在の住所は北新宿で、百人町は小滝橋通りをわたった東側一帯にあたる。歩いてみると北新宿という地名の付いた町はふつうの落ち着いた住宅地であり、ここが新宿であることを忘れさせる。旧町名の名残をとどめる柏木小学校がある。そんなところが東京の面白さ。しかしながら、肝心の西条八十大杉栄旧宅跡は見つけ出すことができなかった。新宿区では案内板など立ててくれないのだろうか。それともわたしの探し方が悪かったのか。
中央線大久保駅から新大久保駅までの大久保通りの雰囲気は、まさにコリアンタウン。ハングルの看板がかかり、すれ違う人も多くが韓国語か別の外国語を話している。なんてことはない女子高生の集団まで韓国語だから、日本ではないような不思議な感覚を味わえる空間だ。