大充実の世田谷文学館

永井荷風のシングル・シンプルライフ

先日訪れた東京都庭園美術館の「建築の記憶」展もそうだったが、今回の「永井荷風のシングル・シンプルライフ」展も初日にさっそく駆けつけた。だからといって別に最近“初日マニア”になったわけではない。ちょうどそちら方面にもうひとつ用があったため(後述の映画)、一緒に済まそうと考えたわけである。
世田谷文学館の最寄駅である京王線芦花公園駅のちょっと北に、わたしの口に合う大変おいしいカレー屋さんを見つけたのも嬉しい出来事だった。ここで食事できるかと思うと、これから世田谷文学館を訪れるときの愉しみが増えた。
それにぽかぽかと陽気もいい。文学館を訪れる日はいつもそんな印象。だから、文学館周辺の落ち着いたたたずまいのなかに身をおくと、いつも「このへんに住みたいなあ」という憧れをもってしまう。
さて、「永井荷風のシングル・シンプルライフ」展は、以前出た持田叙子さんの『朝寝の荷風*1人文書院)に想を得て企画されたらしい。この本はむかし“読まずにホメる”で取り上げたことがある。それで読んだつもりになってしまい、未読のままだった。積ん読の山から掘り出して携え、電車のなかで読みはじめる。
展示スペースはそれほど広くないので、かつて見た荷風展(江戸博や市川)ほどたくさんの展示物があるわけではないが、いつもの荷風グッズ(遺品の蝙蝠傘や下駄、籠、鞄、眼鏡等々)はもちろん、『断腸亭日乗』原本が、それぞれ「シングル・シンプルライフ」に関係する箇所を開いてずらり展示されているのが圧巻だ。毎度のことだが、『断腸亭日乗』原本の小ぶりなことと、丁寧な楷書で筆記されていることに感銘を受ける。
荷風の住んだ麻布偏奇館の間取り図がパネル展示されていたが、二階部分の間取りがまったくの謎とあるのが興味深い。いったい二階にはどんな部屋があり、荷風はそこでどんな暮らしをしていたのか。あれだけ詳細な『断腸亭日乗』があってもわからないらしい。
出口近くに、石塚公昭さんの人形二体が展示されている。一体は見慣れた立ち姿の、蝙蝠傘を腕にかけ、買物籠を提げた(ネギや大根入り)荷風の散歩姿。もう一体は新作だろうか。晩年市川に住むようになってからのものだろう、片膝を立てて自炊をする荷風の姿がリアルに捉えられている。
食器や煮炊きに必要な道具が細かく作り込まれているほか、畳の焦げ跡がリアルで微笑を誘われるし、また荷風のそばには、ミニチュアの『断腸亭日乗』何冊かと『濡れズロ草紙』が、本物さながらに和本仕立てに装釘され、積み上げられている。中味のほうはどうなっているのだろう。
肝心の「シングル・シンプルライフ」については、『朝寝の荷風』を読み終えたとき記すことにしよう。図録(1200円)は、展示内容どおりのものではなく、荷風の年譜に沿って展示物や『断腸亭日乗』記事が配され、あいだに持田さんのエッセイ数篇が挟まれているもので、独立した読み物としても面白そうだ。
今回は荷風の特別展(4/6まで)に加え、二階常設展示室の一角を借りて、「脚本と映画 橋本忍の仕事」という特集展示がなされている(3/23まで)。第9回世田谷フィルムフェスティバルで橋本さんが脚本を書いた映画が特集上映されるのに連動した企画で、おびただしい映画台本や絵コンテといった関連資料が展示され、これまた見飽きない。
とりわけ「隠し砦の三悪人」の企画書的な、和文タイプで打った配役表に目が釘付けになる。三船敏郎の役は三船一人の名前しかないので最初から彼一人に絞り込まれていたことがわかるが、他の役柄にはそれぞれ複数のそれぞれ名の知られた俳優の名前が挙げられている。
いただいた資料集にフィルモグラフィが掲載されている。これを見るとわたしもこれまで多くの橋本作品を観てきたことになるが、「張込み」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「いろはにほへと」「白と黒」「首」など上質なサスペンス映画が印象深い。
荷風展だけでなく、常設展示室での橋本忍展も充実したもので、すっかり満足して気分が良くなった。つい財布の紐もゆるんで、荷風展図録のほか、かつて(1996年)開催された「映画と世田谷」展の図録(500円、川本三郎さんのエッセイ「世田谷の映画人たち」収録)や、“東宝監督名鑑”として読み甲斐がありそうな高瀬昌弘『東宝監督群像―砧の青春』*2東宝株式会社)を買い求めるなど、散財してしまった。