追悼市川崑監督

「プーサン」(1953年、東宝
監督市川崑/原作横山泰三/脚本和田夏十伊藤雄之助越路吹雪藤原釜足/三好栄子/加東大介杉葉子小林桂樹八千草薫杉葉子木村功/菅井一郎/小泉博/山形勲トニー谷/メリー松原/黛敏郎

一昨日市川崑監督の訃報を知ったとき、すぐにでも作品を観たいと思ったけれども、その日も次の日も観ることができなかった。一昨年や去年できていた夜更けに映画を観るというひそやかな愉しみが、疲れのためかできなくなったのである。
では一昨年も去年も、夜更けに映画を観るほど余力を残して仕事から帰ってきていたかといえば、いまとあまり変わらないような気がする。年齢ゆえか、映画に対する執着心が薄くなったゆえか、また何か他に理由があるのか。
去年から日本映画専門チャンネルで始まった特集「監督市川崑の映画たち」で、市川監督の古い作品を多く観る機会があった。それでも未見の名作をまだたくさん録りためている。追悼の意を込めて、少しずつ観ていくことにしよう。
わたしの場合、市川作品との出会いは「横溝(金田一)映画」である。「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」。リアルタイム…と言いたいところだが、公開時に観たわけではない。でも小学校高学年の頃から中学生の頃にかけてこれらの作品の直撃を受けた。自分にとって幸いな出会いだったと言うべきだろう。
その市川監督が、昭和20〜30年代には都会的センスにあふれ、テンポのいい、喜劇的精神に富んだ作品を続けざまに撮っていたことを知ったのは、その年代の日本映画を観るようになってからである。いまも現役で、子供の頃金田一映画で怯えさせられた市川崑という監督は、物故した名監督、たとえば川島雄三成瀬巳喜男小津安二郎黒澤明といった人たちと同じ時期に活躍されていたことを知って茫然となる。
いまのところ、市川監督作品で好きな三本をあげると、「青春怪談」「億万長者」「悪魔の手毬唄」か。今後変わるかもしれない。
さて、代表作として名高い「プーサン」を初めて観た。訃報を伝えるテレビでは、金田一映画や「東京オリンピック」ばかりが取り上げられ、せいぜい文芸映画に言及されるくらい。「プーサン」に代表される都会派喜劇に触れたメディアがあっただろうか。
いま観ると、55年前の「プーサン」は、まったくの“風俗映画”となっている。銀座に出てきた予備校数学教師の伊藤雄之助が車にはねられてしまう。「たまに銀座に出る」という行為。パージを受けていた軍人(菅井一郎)が復帰して政治家になる。伊藤雄之助と、下宿先の娘越路吹雪日劇にヌードショウを観に行く。デモの光景、外食券食堂、職探しに奔走する人びと、肺病患者が咳をする前でそれを避けながら新聞紙に包んできた日の丸弁当を食す医師木村功。市川作品の木村功はなぜこうもとぼけたキャラクターなのか。
加東大介の経営する予備校から解雇された伊藤雄之助は、下宿先のおばさん三好栄子の斡旋でミシン工場に面接に行く。面接では、機関銃の銃弾が詰まった木箱を縄紐で縛る実地試験が課される。
なぜミシン工場で銃弾なのか。神保町シアターで現在開催されている特集上映「中村登市川崑」のリーフレット(執筆者不明)に、川本三郎さんの指摘が紹介されており、なるほどと感心した。ミシンは自動車産業が成長するまで、長らく日本の輸出品の稼ぎ頭だった。

戦後、ミシンがこれだけ活躍したのは、実は、ミシンの製造技術は機関銃との共通部分が多く、銃器メーカーが戦後すぐにミシンに転換することが出来たためという。
 だから朝鮮戦争のときには、ミシン会社がまた銃器メーカーに逆戻りする例もあった。(『映画の昭和雑貨店』14頁*1
容貌魁偉の怪優伊藤雄之助が冴えない予備校教師に扮する。冴えない点同情を誘うが、やはり伊藤雄之助はそういうところで観客の感情移入を受け入れるキャラクターではないはず。でも、眠っているときの醜い(とあえて言うが)寝顔こそ、伊藤雄之助なのである。