手を替え品を替え

ブランケット・キャッツ「手を替え品を替え」という成語には、「あれこれさまざまな手段で試みるさま。あの手この手」(『広辞苑』第四版)という意味がある。いまだ達成されていない目的に対し、いろいろな手段を用いて達成しようとする様子がイメージされる。
だから、重松清さんの新作『ブランケット・キャッツ』*1朝日新聞社)の感想としてこの言葉を用いるのは、必ずしも正しくはないのかもしれない。かといって「同工異曲」としてしまうと貶したような表現になってしまうから、さらに不適当となってしまう。同じテーマについて「手を替え品を替え」変奏を試み、それが二番煎じにおちいることなく、その都度清新な印象を与えるという意味で使いたいのだ。
『ブランケット・キャッツ』は七篇が収められている連作短篇集である。二泊三日でレンタルされる猫たちと、彼ら(彼女ら)を借りる人間たちの間で起こる物語が描かれる。これまで重松さんが取り上げてきた、家族(夫婦・親子)の問題や、リストラ問題などが、“レンタル猫”というフィルターを通して描かれる。実に心憎いテーマ設定である。
レンタルされる猫は、それ相応に大人しく、どんな環境にでも対応できる猫ばかり。借りるさいの条件は、餌はショップで用意したキャットフードに限定し、また仔猫のときから慣れ親しんできた毛布で寝させること。ゆえにレンタル猫はブランケット・キャッツなのである。
様々な境遇の人びとが様々な理由で猫を借りる。子どもができない夫婦、末期ガンの宣告を受け、会社の資金を押領して逃走途中の女性単身者、惚けてきた祖母に懐いていた猫の身代わりを借りようとする家族、などなど。猫を借りるという行為によって、借りた人間側がはらんでいる問題が浮き彫りにされる。
猫は自由な生き物だと言われている。主人に忠誠を誓う犬と違い、人間に懐かず唯我独尊我が道をゆく動物だとされている。孤になることを好む猫という動物を媒介にすることにより、本来個としてある人間が他人と結びつくことの意味が問われる。
猫を借りる人間の側から書かれた五篇から一転、「旅に出たブランケット・キャット」は借りられた猫が主人公となる。個と孤の問題、結びつきの問題が読者の目の前にはっきりと立ち現れる。
さらに巧みなのが、この一篇で主人公となる猫が、9歳、人間にすれば40歳に該当する中年猫に設定されている点だ。自分とほぼ同じ世代が抱える問題を重要なテーマにしてきた重松さんらしい設定に唸った。

猫の六歳は、ニンゲンでは四十歳に相当する。中年だ。もう若くはない。人生の折り返し点に来て、自分の生きてきた道を振り返る年頃でもある。
 よし、これでいいんだ、と胸を張って前に向き直るひとはめったにいない。たいがいはため息とともに力なく前を向く。後ろを振り向いたままうなだれて、そこから一歩も歩き出せなくなってしまうひとだっている。中年の危機、ミドルエイジ・クライシスである。(239頁)
この中年猫、タビーは、レンタル猫という生まれてからの境遇を抜け出し、新しい人生の一歩を力強く踏み出してゆく。冒険小説の序章とも言える。そして同世代の男たちへのエールでもあるのだと、いま書きながら気づいた。
そんな勇気に満ちた一篇の次に配されたラストの「我が家の夢のブランケット・キャット」では、父親のリストラによってマイホームを売り払わざるをえなくなった四人家族の危機と、再生に向かう第一歩が、レンタル猫の習性に重ね合わせて描かれ、いつもの重松作品同様目頭を熱くさせられた。
同世代の人びとが置かれている立場に目線を合わせ、その一喜一憂を描くという姿勢は揺るぎないものであり、作家が年齢を重ねるとともに、描かれる主人公たちも同じように年齢を重ね、その時々の問題がクローズアップされる。そんな創作姿勢が貫かれるかぎり、重松作品を信頼しつづけたい。