丑年の年賀状には

菅原伝授手習鑑 車引

今日の目的は吉右衛門の「関の扉」なのだが、混雑することを予想して、ひとつ前から観ることにした。幕見料金としては、一番最初の「小野道風青柳硯」と込みだけれど、家を出るのが遅くなった。
今月の「車引」は、松王丸が橋之助、梅王丸が松緑、桜丸が錦之助。梅王丸の松緑の筋隈をとった顔つきが迫力満点。声が相変わらず一本調子気味なのが残念なのだが。錦之助の桜丸が意外にいい。
そしてこの三人以上に印象深かったのは歌六の時平公だ。あの低い声が藍隈をとった悪の権化にぴったりである。
ここ数年年賀状に、干支を歌舞伎に出る動物に見立てた図柄を用いている。昨年の亥年には、忠臣蔵五段目「二つ玉」のイノシシ、今年の子年には千代萩の荒獅子男之助に踏まれる鼠だった。来年の丑年はどうしようかと考えていたが、どうやらこの車引の、時平公が乗る牛車の牛が第一候補になりそうだ。

積恋雪関扉

吉右衛門の関兵衛(実は大伴黒主)、福助の小町姫・傾城墨染(実は小町桜の精)、染五郎の少将宗貞。たぶん吉右衛門の関兵衛は以前観たことがある。小町姫・墨染は芝翫で観たはずだが、今回観ていると、横顔などにふと六代目歌右衛門の表情が重なる。最近こういうことが多い。もっともわたしは歌右衛門の舞台を観たことはない。
「関の扉」は上段、常磐津に乗りながら関兵衛と小町姫が問答をおこなうくだりと、三人が手踊りするくだりの調子の良さが大好きだ。下段になるとちょっとだれてきてしまう。これは観るほうが悪いのだろう。
常磐津舞踊を堪能し、上気した気分で幕見席から階段を降りようとして驚いた。次の忠臣蔵七段目を幕見で観ようとする人びとの行列がテケツの目の前から始まっている。行列は階段を降りきるところまで続いていた。日曜午後のいい時間帯とはいえ、皆そんなにまでして幸四郎由良之助の七段目を観たいのか。
別に幸四郎の七段目が悪いというわけではないが、少し早く出て、この「関の扉」を観ればさらに面白いのにと思う。
さて、観劇の帰り道、歌舞伎座近くの小諸そばで腹ごしらえをしたあと、いい陽気なので少し歩いて帰ろうと北に向かって歩いた。三島由紀夫「橋づくし」で有名な三吉橋を経ているうち、いつのまにか八丁堀へ。モダンな雰囲気の阪本小学校の校舎を見ながら兜町に入る。
東京証券取引所の裏手に、昭和初期の雰囲気を残した証券会社の建物があったので、思わず写真を撮った。山二証券(山一証券ではない)と成瀬証券である。
このあたりまでは元気だったが、江戸橋を渡り三越を過ぎたあたりから疲れが出はじめる。しかし我慢して歩いていると、JR神田駅にたどりついたので、残った気力をふりしぼって小川町まで歩きとおした。銀座から小川町まで、東京に来てこんなに距離を歩いたのは初めてかもしれない。
夜、TBS系のテレビドラマ「佐々木夫妻の仁義なき戦い」をぼんやり観ていたら、思わずテレビに体を近づけてしまった。今日写真を撮った建物が、佐々木夫妻の弁護士事務所として使われているではないか。撮影した画像を見直して確認する。
その後“近代建築散策”で調べてみると、茶系の山二証券が建てられたのは大正末年、灰色の成瀬証券は昭和10年だという。建築家はともに西村好時というのも面白い。藤森照信さんの『日本の近代建築(下)』*1岩波新書)によれば、西村好時という建築家は、第一銀行・満州中央銀行総行など金融機関の建物を多く手がけた人らしい。

超高層の東証の建物の裏に、60年代の映画(たとえば「大番」)にときおり映る日本橋の証券街の残滓を見つけて喜び、さらに、その日観たドラマのロケ地に使われていることを知るといった偶然は滅多にないだろう。