切ない東京ミステリ

火刑都市 (講談社文庫)川本三郎『ミステリと東京』*1平凡社)の、今度は内容についての影響の話。同書の一番最初に取り上げられている島田荘司さんの長篇『火刑都市』*2を読み終えた。
島田作品は学生時代いくつか読んだことがある。ただ『火刑都市』は名前だけ知っていて、未読だった。簡単にブックオフで見つかるだろうとたかをくくっていたら、意外にない。年末年始の帰省中、山形のブックオフでようやく手に入れた。小口が削れているのが気に入らないけれど、仕方あるまい。
川本さんが刊行記念講演会のなかで、とくに印象に残っている本としてあげたのが、『火刑都市』と、佐々木譲さんの『新宿のありふれた夜』である。『ミステリと東京』のなかでも、とりわけ熱が入っているように感じたのが、『火刑都市』を取り上げた一篇だった。
読んでみるとたしかに面白い。これまた電車に乗っている時間を忘れさせてくれる上質なミステリだった。放火のトリックや、放火場所と江戸・東京論との関連性、犯人を追う中村刑事がこつこつと自分の足で捜査を進め、可能性を絞ってゆく過程、また至るところに散りばめられているディレッタントな都市東京論を存分に楽しんだ。
ただ地方人としては、そうしたミステリや都市東京論の核となる部分以上に、地方人にとっての都市東京に対する心情がうまくとらえられている点に動かされた。印象に残った文章は、いずれも『ミステリと東京』でも引用されているものである。

中村が長くこの仕事をしていて、面白いと思うことがある。それは、東北出身者はたいてい上京すると日暮里や赤羽、千住あたりに住みつくということである。何か特別な理由がない限り、中央線や京王線沿線に住みついたという話は聞かない。やはり東京の東北部にふるさとの訛りを聞くからであろう。(165頁)
東北人たるわたしも「日暮里や赤羽、千住あたり」に近い場所を住所に選んだ。たしかに中央線・京王線沿線は眼中になかった。読みながら、東京に転居した10年前を思い出す。
就職が決まったのが3月上旬、着任が4月1日付ということもあり、余裕がひと月もなく急いで住む場所を決めなければならなかった。さっそく『住宅情報』の東京版を買い込み、鉄道路線図を眺めながら、携帯版の23区区分地図とためつすがめつ、どこの不動産屋を拠点にしてどのあたりを探すか検討を始めた。
わたしの職場であれば地下鉄丸の内線を使うのが至便だから、池袋乗り換えで西武池袋線東武東上線沿線という選択肢がもっとも理にかなったものである。しかし天の邪鬼なわたしのこと、丸の内線を使わない通勤方法がないか路線図に目をこらした結果、駅から多少歩くことになるものの、地下鉄千代田線根津駅を「発見」し、その沿線に住むことを決めた。
就職の決まった翌日か翌々日、妻に仕事を休んでもらい、二人で上京した。目指すは北千住の不動産屋である。千代田線なら北千住を起点にするのがいいだろうという判断だ。これまで北千住を訪れたことはなく、地名もビートたけしの口から出てくるのを聞いたほか、まったく馴染みがない駅だった。
そこの不動産屋で千代田線沿線の物件を紹介してもらうなかで、千代田線と常磐線が相互乗り入れ運転しているということを知った。いや、私鉄(地下鉄)とJRの相互乗り入れという概念を初めて知ったと言ってよい。また、東武伊勢崎線に急行運転があり、各駅停車しか停まらない駅があることも初めて知った。
このようにわたしが住む場所として東京東北部を選んだのは多分に別の事情がからんでいたものの、「上野に出るのが簡単そう」という考えがあったことも否定しない。
東京に住んで生活に慣れ、あちこち出歩くようになった今思えば、中央線沿線などを選択肢に入れなかったことを悔やまないでもないけれど、このときはとにかく混雑する電車に長時間乗りたくない(そしてなるべく乗り換えしない)というのが絶対条件だったのである。生活を始めた当初、電車の中で本が読めなかったことが懐かしい。
上京したその日だったと思うが、千代田線から職場までどのようなルートで行けるものか、妻と二人で根津駅から歩いてみた。根津から本郷台地に上る弥生坂の急坂に、自動車での移動に慣れきったわたしの足腰が耐えられるかどうか、不安をおぼえた。
地図をたよりに職場の入り口まで歩いて、そこを折り返し点にしてふたたび根津駅まで戻り、千代田線の電車を待つ二人は疲れ切っていた。そのときの妻の疲れた表情がいまでも脳裏に焼きついている。相手から見たわたしも同じような顔をしていたに違いない。
だから私は、はじめて上野へ出てきた時、北千住へ行くのにまだ電車に乗らなくてはいけないという、そういうことが感覚的に理解できませんでした。だから、上野から電車に乗らずに歩いていって、その途中、どこまで行ってもビルがなくならないし、あとからあとから大勢の人が、どこからともなく出てきて、私とすれ違って、ああこれから自分は、こんな凄い人たちの中で生きていくんだなって思って、怖くてたまらなかったです。(…)あの感じ、ああいう感じは、東京に生まれて育った人には、絶対に解らないと思うんです。(377-78頁)
『火刑都市』の登場人物、新潟の片田舎から東京に出てきた女性の述懐である。このくだりを読んでいて共感をおぼえると同時に切なくなり、上に書いたような10年前の春の一日を思い出してしまった。
たしかに、東京生まれのわたしの息子たちは、混雑する電車、そこから大勢の人が吐き出され、乗り込んでいく情景、電車の乗り換え、相互乗り入れ運転、急行運転などが所与のものとしてある。地方の人間が、生活のために東京にやってきたときに味わう特別な心細さとは無縁だ。逆に、上のような状態があたりまえな感覚とはどのようなものなのか、想像力の範囲を超えているのである。