若冲は死して謎を残す

異能の画家 伊藤若冲 (とんぼの本)新刊で出た、狩野博幸森村泰昌ほか『異能の画家 伊藤若冲*1(新潮社とんぼの本)を読んでいて、昨年5月に日帰りで駆けつけた相国寺承天閣美術館での若冲展(→2007/5/25条)を思い出した。
あの日は雨が降っていたこともあって、とても蒸していた。しばらく並んでようやく会場に入り、食い入るように「動植綵絵」に見入ったものだった。興奮が醒めないまま美術館を出ると、わたしが入ったとき以上に行列ができていたのに驚いた。そのなかに林哲夫さんのお顔があったように記憶しているが、以前あるイベントで一度お見かけしただけなので、確かではない。
『異能の画家 伊藤若冲』は、『芸術新潮』2000年11月号の特集を再編集・増補したものである。この号を持っていても不思議ではないのだが、見つからない。所持の有無とは無関係に、小さいながら「動植綵絵」全30幅の写真を収録していることで買うことを決めてしまった。
何度見ても若冲の絵は面白い。そして見飽きない。京都錦小路の青物問屋の跡取りに生まれ、家を継いだものの40歳で弟に家督を譲り隠居、画業に専念したという経歴もさることながら、作品誕生に付随する挿話や、作品伝来にかかわるサイドストーリーに至るまで、劇的というほど波瀾に富んでいる。
絵を眺めながら、狩野さんの談話によるこれら挿話を読んでいくうち、時間があっという間に過ぎてゆく。
そもそも「動植綵絵」が、明治における廃仏毀釈の嵐のなか、相国寺が寺地を守るため宮中に献上された(そのおかげでいまも素晴らしい状態で残っている)という点からしてドラマティックだ。
拓本をとる要領で制作されたという木版画(拓版画)「乗舟興」の、墨の濃淡の具合が素晴らしい。しかもこの「乗舟興」の版木の一部が、若冲の家の縁者である安井家の濡れ縁の板として使われていて、それが最近発見されたというのも、とびきりのエピソードである。
昭和初年に開催された展覧会で出品されたあと行方がわからなくなっていた画巻「菜虫譜」が、栃木県にある旧家の蔵から「ひょっこり」見つかったとか、ある日本画家のコレクションから見つかったとか(「付喪神図」)、2000年の展覧会前に、若冲墓所があり、彼がプロデュースした五百羅漢の石像がたくさんある深草石峰寺周辺の家々にも、乞われるまま描き与えた絵があるのではないかと推測して調査したら、本当に見つかったなど(「群鶏図押絵貼屏風」)、まだまだ若冲の名品が日本のどこかに(いや、世界のどこかに)眠っているという期待を与えてくれる。
数え85歳で亡くなったはずなのに、落款に86歳、87歳、88歳などと記されている若冲作品がある。その謎を狩野さんが解き明かす過程もスリリングだ。没後の年齢が書かれているため、これまで若冲作を疑われていた作品も、これゆえあらためて若冲の作品リストに入ってくるだろうというのも楽しい。
死して約200年。若冲は作品そのものによって後世の人間を魅了するだけでなく、謎をまき散らしながら、なおそれを読み解く楽しみを与えてくれているのである。