人生はレイアウトだ

鋏と糊

先日久しぶりに堀切の青木書店に行ってみた。ブックオフではなく普通の古本屋でしか手に入れられない、というわけではないが、普通の古本屋で手に入れてこそ喜びがわくような本を何冊か購った。そのうちの一冊が、三國一朗『鋏と糊』*1(ハヤカワ文庫NF)だった。
三國さんの文庫本といえば『肩書きのない名刺』(中公文庫)くらいしか知らなかったから(といっても持っているわけではない)、ハヤカワ文庫に、安西水丸さんの洒落たカバーデザインによるこうした本が入っていることに意表をつかれたこともある。
帰宅後、とるものもとりあえず濱田研吾さん著による私家版『三國一朗の放送室』(ハマびん本舗)を繰ってみると、意を尽くした解説がなされている。初版から二度も復刻された、しかも最後は文庫版ということで、「「書く」代表作になったことは、まちがいない」とある。
スクラップ趣味には縁遠いが、40年間生きてきて、気になる新聞記事などを切り抜いてスクラップ・ブックに貼り付けた経験がないわけではない。子供の頃に一度、学生時代に一度ブームがあった。学生時代にこしらえたものは今でも取ってあるはずだが、どこにしまったやら、見あたらない。江戸川乱歩貼雑年譜』の影響をもろに蒙って作り始めたものだった。
乱歩の場合、彼は蒐集癖があったうえに、自分に関わる記事を集めることに執念を燃やした。日記がわりにスクラップとしての『貼雑年譜』をこしらえたのである。いまやその『貼雑年譜』は探偵小説史だけでなく、近代社会風俗史の一級資料となっている。
三國さんはスクラップという行為を、「P・PからP・P」へという言葉にまとめている。「パブリック・ペーパーからプライベート・ペーパーへ」という意味だ。つまりパブリック・ペーパーたる新聞紙に、ひとたび鋏を入れて切抜きをこしらえると、その切抜きはおおやけの性格を喪失し、切抜きをした人間の個人的な紙片に変化する。『貼雑年譜』の場合、さらにもう一度パブリック・ペーパーに回帰した感がある。
三國さんは切り抜いた新聞記事をスクラップ・ブックに貼り付け整理することに愉しみを見いだした。スクラップの原点は「小紙片愛」にある。本書『鋏と糊』には、日頃三國さんがどんな道具を使って、どのように新聞紙から紙片を切り抜くかといった事柄が所作のひとつひとつまで実に細かく紹介されている。
偏愛する道具に至るまできわめて具体的で、こういった記述はマニアックでディレッタントな独りよがりに陥りがちなところ、ユーモアのある語り口が行為の愉しさをストレートに伝えているから嫌味がない。濱田さんも「好きと謙遜のバランスが絶妙」と評している。
本書はすぐれたスクラップ論にとどまらない。卓抜な情報整理論であり、結局これは編集論ということにもなるだろう。さらに「ブック」論つまり書物論でもあり、書物を構成するのに不可欠な紙論でもある。
紙論としては、祖父が新聞連載小説を自ら綴じて私製本を作ったり、和紙を自在に使って冊子を作ったりしていたことを脇で見ていたという体験を下敷きに、「彼等にとって新聞紙というものは、まずそれが「紙」であること自体価値があり、そのうえ、何かが印刷されていることで、より大きな価値をもつものであると考えられていました」(「むかしの話」)という指摘を紹介すれば十分だろう。
書物論としては、テキスト論、形態論双方に及んでいる。テキスト論としては、初版以前の、いわゆる「初出」に満ちている雰囲気に着目した「プレオリジナル」論がユニークだ。
新聞連載と、それがまとめられた単行本は、文章は同じであるもののどこか違う。「連載時の紙面には、小さなスペースながら強烈な迫力があり、切りぬいた紙面から受ける実感と、単行本化されたもののページから受けるそれとの間には、あきらかなちがいがあります」(「新聞を切りぬく(その一)」)という指摘は、実際に切り抜いてまとめ、それを読んで味わった人でなければ文章にできない微妙な感覚をうまくとらえている。
別の一篇では、この違いをたとえ話を使って説明している。

同じ一人の旅人でも、汗をかき旅塵にまみれ、息をはずませて目的地に到着したばかりの彼と、旅舎におちついて一風呂浴び、浴衣にくつろいだ彼との違いが、「プレオリジナル」と「オリジナル」の間にはあるようです。(「『葛飾こよみ』と『6音6画』」)
三國さんは、切り抜きを通して、「はじめて世に出たものが持つ気魄」に満ちた、まだ呼吸の整わないプレオリジナルを愛するのである。なお書物の形態論については、「スクラップ・ブック論」の一篇がある。
上述のように、本書を読みながら、新聞切り抜き、スクラップを論じてはいるものの、究極的には編集という行為を論じた本と考えるべきだよなあと思っていた。すると最後のほうにこんなくだりを見つけて、思わず膝を叩いた。これこそ三國さんの人生観の一端をあらわし、また三國さんの経歴や趣味嗜好を体現した文章なのだろう。
そんな夜のあるとき、私はふと、「人生はレイアウトだわい」と思ったものでした。私たちはみなページ数のわからない一冊のスクラップ・ブックを持って生まれてくる。人生から切りとったものに「経験」という縁取りをつけて、それぞれのスクラップ・ブックに貼りつけながら生きていく。人生から何を切りとり、どのようにそれをレイアウトして、定められたスペースを充たすかは、各人の自由にまかされているけれども……。(「大物・小物」)
生き方が趣味に投影されるのか、趣味が生き方の方向を定めるのか。いずれにせよ生き方と趣味の目指す向きが見事に一致し、その具合を的確に他人に伝えることが達成されている幸せな本である。