博物館の落とし穴

先日国立美術館のキャンパス・メンバーズについて書いた。このとき東京国立博物館にも同様の制度があることを紹介した。東博の場合、メンバーになっている大学の教員・学生は美術館と同じく常設展無料であり、ホームページで確認したところ、現在開催中の特別展(「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」)は半額になるとあったので、勇躍小学生の長男を誘って観に行くことにする。
ところがところが、得意顔で窓口に身分証明書を差し出したら、「先生は割引になりません」と言われ愕然とした。入場料1400円が700円になる、これなら図録に2400円を払ってもまあ我慢できるかと思っていたので、がっくり。でも息子を連れてきた手前、割引にならないから引き返こともできかね、やむをえず泣く泣く1400円払って観ることにする。
いや、展示内容そのものは1400円を払って観る価値があるほど、充実したものなのである。近衛家が伝来してきた名品は、現在京都仁和寺の近くの「陽明文庫」と呼ばれる施設に収蔵されている。わたしの職場はこの陽明文庫と深い関係にあるのだが、残念ながらわたしはまだ訪れたことはない。目と鼻の先にある仁和寺までなら調査で来たことがあるのだが。
今回の展示では、藤原道長の日記である『御堂関白記』の自筆原本(国宝)をはじめ、近衛家歴代の墨跡(書状・和歌懐紙・詠草)や、同時代の天皇たちの墨跡といった文字史料に見入ったのはもちろんなのだが、それらを掛幅にするための表装の意匠に強く惹かれ、はじめてと言っていいほどこれらを意識させられた。これまで掛幅を観るときには、当然ながら表装された書状などの中味に注目するだけだったからだ。
江戸時代の家督である近衛家煕はとくにこうした表装に凝った人物らしく、表装に使うためのカラフルで奇抜なデザインの表具裂(布地)が数多く展示されていた。この書状、この詠草にはどんな色の、どんなデザインの布切れがふさわしいのか、布地を並べながらあれこれ考える家煕の姿を彷彿とさせる。
この展覧会によって、表具全体をひとつの芸術品として観る目を与えられたのは収穫だった。