短篇から連作へ

的の男 (創元推理文庫)すぐれたアンソロジーはすぐれた読書案内である。アンソロジーだから、必ずしも好きな作家や好きな傾向だけの作品が収められているとはかぎらない。編者の魅力や、ある作家の作品に対する魅力でアンソロジー本を購うと、関心が及ばなかった作品の面白さにも動かされることがあり、それが新たな世界への扉となる。
昨日書いた北村薫宮部みゆき編『名短篇、ここにあり』*1ちくま文庫)の場合、多岐川恭さんの「網」がそうだった。
還暦を迎えてなお元気な実業家には敵が多い。彼の美貌の娘との結婚を阻まれ、逆恨みして殺害を計画し、それがものの見事に失敗する話。簡単に要約すれば以上のようになる。殺害方法が奇抜で、実業家が健康維持のため毎夜自宅のプールで泳ぐのに目をつけた犯人が、投網で溺れさせ、もがくところを物干し竿でつついて浮き上がらせないようにする。
小説では、犯人が他人に見つからないよう隠れて投網を自作するところが克明に描写される。人間を投網で殺そうという着想や、投網を苦労して作った挙げ句失敗するおかしさが、奇妙な味をかもし出している。
というのは編者二人の解説対談を読んだあと気づかされたことであって、それを読む前までは、他の収録作品とくらべて正直言ってこの作品の面白さがわからなかった。
解説対談を読むと、「網」は『的の男』という連作短篇集の第一話にあたることを知った。連作好きとしては見逃せない発言だ。さらに追い打ちをかけたのがまたしても宮部発言。

情けないですよ。毎回失敗するんです。しかし毎回挑む犯人がそれぞれすごく新鮮で。ぐるっと回って、長篇になって、実はいわゆる○○ものになるわけで、でも、去っていく○○の気持ちは、そうだろうなあって思っちゃいました。
○○は原文のままである。この○○知りたさが新たなモチベーションとなった。創元推理文庫多岐川恭作品集は何冊か買い込んでいたはずだ。それらを積んでいる棚を見ると、果たして『的の男』*2を見つけた。さっそく読み始める。
『的の男』は「網」にはじまり、「銃」「穴」「錠」「毒」「紐」「髪」「牙」「女」の九章からなる。「網」から類推されるように、章タイトルの漢字一文字が、「的の男」を殺害するためのキーワードになっている。「網」で殺されかけた実業家が、次章以降もそれらの方法(道具)で殺されかけつづけるのである。
「網」同様殺害方法の突拍子なさに吹き出したり、「的の男」のふてぶてしさに、殺す側に思わず感情移入してしまったり。しかも殺害に失敗して「的の男」のまわりから去ってゆく殺人(計画)者たちのさびしさが何とも言えない。
ところで読むモチベーションとなった○○だが、ふたつの○○には同じ語が入るのだろうか。「去っていく○○」のほうはわかったけれど、それがそのまま最初の○○に当てはまらないような気がする。
まあわからなくてもいいか。それにつけても、連作第一話だけを抜き出してアンソロジーに収めた北村さんと宮部さんの英断に脱帽である。たしかに不思議な味わいのある短篇だが、この一章分だけアンソロジーに入れるのは多少強引のそしりはまぬがれない。でも逆に、「網」が連作の第一話であることを知ると、全篇通して読みたくなる。
アンソロジーのしかけにうまく乗せられるというのも“本読みの快楽”のひとつだろう。