名画が同時代にあった頃

[復刻版]銀座並木座ウィークリー

[復刻版]銀座並木座ウィークリー編集委員会編『[復刻版]銀座並木座ウィークリー』*1三交社)を読み終えた。
12日に丸善丸の内店で手に入れ、その日に川本三郎さんのサインを頂戴してから(→11/12条)、毎日ナイトキャップ代わりに枕元で読み、また、家の中でちょっとした時間を見つけては読みつづけ、最初から最後までひととおり読み通した。
1998年まで銀座に存在した名画座並木座は、1953年10月に開館した。最初に上映されたのは、源氏鶏太原作・千葉泰樹監督の「幸福さん」。源氏作品が劈頭を飾るというのも、時代をあらわしているということになるのだろう。
本書は毎週並木座が自ら編集し、発行していたプログラム『並木座ウィークリー』のうち、前夜祭のパーティで関係者のみに配られたというリーフレット、いわば0号を加え、1号から1956年(昭和31年)5月の100号までを復刻収録したものである。編集委員のエッセイや執筆者・映画索引も含め、これだけで600頁を超える浩瀚な一冊となっている。
なぜ100号までなのか。編集委員の一人嵩元友子さんの序文を兼ねたエッセイ「「NAMIKIZA Weekly」礼賛」によれば、1957年4月の158号からサイズが三分の二に縮小され、三つ折りが二つ折りとなって、さらに同年12月の190号をもって一時休刊されたのだという。その後別のスタイルで再登場し、閉館まで続いたというが、開館当初からの充実した内容を持つのが、ここで復刻された100号分だと言えよう。
ちなみに嵩元友子さんは『銀座並木座―日本映画とともに歩んだ四十五年』*2(鳥影社、→6/4条)の著者である。嵩元さんの著書なくして、この復刻版が世の中にでることはなかったのではあるまいか。
さて、表紙にはその週に上映予定の作品の関係者、監督や出演俳優がイラストと短文を寄せている。それにつけても俳優さんたちの絵心のあることよ、文章の達者なることよ。現在もエッセイストとして活躍中の池部良さんだけでなく、伊豆肇、小林桂樹清水将夫市川崑、菅井一郎、越路吹雪轟夕起子有馬稲子香川京子などなど。皆さん芸達者なのに驚いてしまう。
表紙の裏から上映作品の梗概・紹介文が始まり、関係者(これも多くは監督や主演級俳優)のエッセイや公開当時の批評が続く。「映画ファン教育(エチケット)」という編集者の短文、「銀座八丁」「WIPE」といった銀座風俗、映画界の最新情報コラムがあり、最後のページには「観客席」という来場者からの投書、「支配人室」という支配人の編集後記的短文が入る。それらの隙間には、次週以降の予定や、休憩時間に流されるレコードの紹介の囲み記事。すこぶる豪華なプログラムと言わねばならない。
1953年から56年と言えば、まさに日本映画の黄金時代。この期間の新作としては、黒澤明監督の「七人の侍」、木下恵介監督の「二十四の瞳」「女の園」、山村聰監督の「黒い潮」、市川崑監督の「青春怪談」(新東宝阿部豊監督との競作)「億万長者」、今井正監督の「ここに泉あり」、成瀬巳喜男監督の「晩菊」「浮雲」など、数え上げれば切りがない。
しかもいま列挙した作品は、並木座で上映された(本復刻版の対象期間中に)ラインナップなのである。これは何を意味するか。いまでは定番的な日本映画の名作と言われている作品群が、並木座開館の頃は公開されてまだ一年にも満たないような「新作」でもあったのだ。
「新作」がすでに「名画」である時代。当時はいまと違いビデオやDVDがないから、公開当時見逃してしまうと、いつ観ることができるかわからなくなる。むろん『ぴあ』のような情報誌もないので、日本映画好きは並木座のラインナップをチェックすることが、見逃した名作に出会える近道だったのに違いない。
編集委員川本さんのエッセイ「定番の安心感」では、並木座は定番を重んじ、「基本的に、映画史に残る、たとえば「キネマ旬報」のベストテンに選ばれたような名作を上映した」とある。だから、この100号までのラインナップを観ると、いまわたしたちが黄金時代の名作としてフィルムセンターやラピュタ阿佐ヶ谷に足を運んだり、CS放送で観たり、DVDを借りてきたりする作品とほとんど変わらないことを知る。定番はすでに50年前から定番であり、名画だったのだ。
コラム「映画ファン教育」では、場内での喫煙を注意したり、帽子を取って観ることを呼びかけたりなど、当時の映画鑑賞マナーのありさまがわかるし、また、11月になると「停電シーズン」になったので、節電で電圧降下のために映写に支障がでることをお詫びするなど、社会風俗的にも「へええ」と驚くことしきりだった。昔は夏が電力注意のシーズンではなく、冬がそうだったのだな。町のネオンも節電のため消されたという。
映画だけでなく、そんな都市風俗史、社会風俗史の資料としても読みごたえがたっぷりで、今後「定番」作品を観ようとするときなど、座右から離せない一冊となるだろうし、また俗事に忙しいときなど心に余裕をもたらすための安定剤となるだろう。