芥川比呂志の狂気

「別れて生きるときも」(1961年、東宝
監督・脚本堀川弘通/原作田宮虎彦/脚本松山善三井手俊郎/美術中古智/音楽芥川也寸志司葉子小林桂樹高島忠夫児玉清芥川比呂志田中絹代河津清三郎/沢村いき雄/賀原夏子/田武謙三/菅井きん/細川ちか子/松村武雄/小池朝雄西村晃加藤武市原悦子田中邦衛

主演は司葉子。昭和六年のある日の早朝、夫がまだ寝ている間に京都の家の木戸を開け、家出をするシーンから始まる。
刑務所に何度も入れられるような「山師」の娘に生まれ(父親役が河津清三郎)、女学校を卒業した日、彼女をやさしく守った母親(田中絹代)も父に従って北海道に出奔してしまうという不幸が彼女の一生を支配する。
叔父夫婦(田武謙三・菅井きん)の営む豆腐屋に身を寄せ、そこに下宿していた児玉清と恋仲になるものの、女学校時代の教師の奸計によって児玉は司を厭うようになり、下宿を変えてしまう。最初はやさしく相談に乗ってあげながら、いざ結婚すると暴力をふるい司の自由を奪う偏執狂的な教師役として、芥川比呂志が絶妙な演技をみせる。
鋭い目つきにこけた頬、もともと神経質そうな、癇性そうな顔だちの人だから、こんな役柄はあまりにはまり役なのである。いままで観た彼の出演作品、たとえば「雁」や「煙突の見える場所」は善良な役柄だったので、そのギャップが恐ろしい。
その芥川比呂志のもとから東京に逃げて、行き倒れになりかかっていたところを助けたのが、在日朝鮮人業界紙(履物?)を出している小林桂樹。こちらはきわめて善良な人。「困っているときには相身互い」が口癖。イントネーションがいかにもそれっぽい。親子ほど歳が離れているから、あくまで彼女を親身に世話しているそぶりなのだが、実際は彼女に好意を持っているというあたりのスレスレの感情表現がうまい。
司葉子が働く神田界隈、あれはセットなのだろうか。美術は成瀬映画でおなじみの中古智さんだから、その可能性が高い。昭和36年の作品なので、30年前の東京の姿を再現していることになる。「ALWAYS 三丁目の夕陽」の時間差(40年以上前だ)よりも近い。
それゆえか、たとえばいま昭和初期のセットを再現した映画よりも、ずっとリアリティを感じる。70年と30年では全然違う。
その後司は、マネキンクラブ(モデル派遣会社)のマネージャーをしていたときに知り合った、自転車会社の高島忠夫と愛し合い、結婚する。二人の仲が深まるきっかけとなったのが、神宮外苑明治記念館前での自転車広告の撮影で、水着になるモデルが何と市原悦子。こんなところも古い映画を観る楽しみである。
高島忠夫司葉子は実は近所に住んでいた。二人は東武堀切駅のホームで出会う。荒川が見える広大な風景。堀切駅が出てくる映画と言えば、小津監督の「東京物語」が有名だが、この映画も「銀幕の堀切」に加えるべき一本だ。
浅草で乗り換えたのだろうか、二人は地下鉄赤坂見附で下車する。外に出ようとしたところ、おりしも二・二六事件当日にあたり、出口が封鎖されている。経緯を乗客に説明するの殺気走った将校を演じるのが小池朝雄。その場面のアップが迫力満点。
結局高島忠夫との結婚生活も、子供には恵まれたものの不幸に終わり(夫の戦死)、人並みの幸福を求めてはいけないのだという諦念を抱いたまま、ラストを迎える。小林桂樹や、司・高島夫婦が下宿する家の家主夫婦(桶屋の沢村いき雄・賀原夏子)の登場場面以外は閉塞感ただよう重苦しい映画だった。