いまさら気づく長寿連載

丸かじり劇場メモリアルBOX

東海林さだおさんの文庫新刊『丸かじり劇場メモリアルBOX』*1朝日文庫)を読み終えた。
実は東海林さんの本を購入し、読んだのは本書が初めてなのだった。つい「メモリアルBOX」なんて書名につられて手に取り、触れられていた様々な食べ物のラインナップが見事にわたしの嗜好と合うことに感動して、つい買ってしまった。
読んでみるとやはり東海林さんの食べ物に対する感覚(誉め方や文句の付け方)はわたしのそれとあまり変わらない。なぜこれまで東海林さんの「丸かじり」シリーズの本を読んでこなかったのか、不思議なほど。「メモリアルBOX」と同様の文庫版アンソロジーでさえもうすでに三冊も出ているのに。
これまで書友が書いた文章やら、鹿島茂さんが東海林さんの理論を応用した「ドーダ理論」など、いくつか東海林さんの本に近づく契機がなかったわけではない。それらを素通りしたのは申し訳ないし、それらの影響が深層でまったくなかったとは言えないけれど、あえて言えば“自分の感覚”で東海林さんの本を手に取り、これから追いかけるべき好きな著者の一人に加えることができたのは喜ばしい。東海林ファンにとっては、「なにをいまさら」と嗤われそうだが。
何がいいって、取り上げられている食べ物もそうだし、文章がいい。人間が食べ物を見るときのまなざしや、口にしたときの感想など、食べ物にまつわる感覚を、食べ物を表現するときに用いる平板な言い回しを使うのではなく、わざと異なる文脈の表現をもってくる文章感覚がたまらない。
結局は比喩というか、アナロジーのセンスが絶妙ということになるのだろう。どこを切りとっても愉しめ、どこを読んでいても顔がにやけてきてしまうことになるので付箋を貼ることは極力ひかえていたのだが、一箇所だけその絶妙なたとえにうなり、思わず付箋を貼りつけた文章があった。
それはフカヒレラーメン体験記の「三〇〇〇円ラーメンとは」で、注文したフカヒレラーメンがついに東海林さんの前に運ばれて来たときの場面だ。

 ラーメンの丼が皿を敷いている。
 フカヒレに対する敬意の表明であろう。
 国賓が空港に到着すると赤いジュウタンを敷くが、あの感覚なのだろう。
 麺の上に直径10センチほどの姿のままのフカヒレがナイス・オンしている。その横に、チンゲン菜。
 メンマ、チャーシュー、海苔、ナルトなどの姿はない。
 サミットなどがあると、その建物の周辺のバラックや屋台などを撤去するあの感覚なのであろう。(206頁)
このサミットでの国賓来日にたとえるくだりには大笑いしてしまった。うますぎる。そんなこんなであそこもここもとわが意を得たような文章やたとえが多くあるのだが、きりがないのでやめる。
好きな書き手の好きなシリーズを見つけたとき、すでにそのシリーズが長寿連載物であり、未読の文章が目の前に山ほど残されている喜び。山口瞳さんの「男性自身」シリーズを思い出す。そんな人気長寿連載物がそれまでまったく眼中になかったという迂闊さに後ろめたい気分になるものの、喜びの前に吹き飛んでしまうのであった。