映画を観て原作のよさを知る

博士の愛した数式

川本三郎さんの『映画を見ればわかること2』*1キネマ旬報社、→10/25条)を読んで気になったのは、ひところ小説も、その小説を原作とした映画も話題になっていた『博士の愛した数式』であった。出張の機会にまず原作から読むことにする。
博士の愛した数式*2新潮文庫)は、本屋大賞第一回受賞作であるが、そのようにもてはやされていると伸ばした手も引っ込めてしまいたくなる困った性分なので、未読だった。
文庫に入ってからですらすでに2年が経っている。慌てて書籍部で探したら、さすがベストセラー、面出しの状態で何冊も並んでいたが、いずれも小口が削られたものばかり。書籍部で買うのを諦め、町の新刊書店を探したところ、幸い削られていない版(今年4月20日の25刷)を見つけたのでそれを購い、旅行鞄に忍ばせる。
映画では博士を寺尾聰、家政婦を深津絵里が演じたことはすでに頭に入っていたから、原作を読みながら二人の俳優のイメージが浮かんでくるのは避けようがない。仕方ないことだろう。博士の義姉(兄嫁)は、川本さんの本で浅丘ルリ子が演じたと書いてあったのを読んだはずなのに、ここだけなぜか加藤治子のイメージが浮かんできたから不思議だ。
さすがに本屋大賞に加え読売文学賞まで受賞した長篇だけあって、小説を読む愉しみを存分に味わわせてくれた傑作である。読んでいる間は時間を忘れ、次へ次へとページをめくらせ、異世界に運んでくれる小説。そして最後にはほろりとさせられる。
文庫版解説の数学者藤原正彦さんも指摘しているように、この小説が成功したポイントはずばり「江夏豊」なのだと思う。博士の記憶が、江夏阪神最後のシーズンであった1975年を限りに止まったままになっていること、江夏の背番号が「完全数」28であること。物語はこの地点から組み上げられてゆく。
王貞治から最も多く三振を奪ったのが江夏であり、江夏から最もホームランを打った打者が王であるという。「私」の誕生日2月20日(220)と、博士の腕時計に刻印された学長賞番号284と同様、「友愛数」的関係のアナロジーで示される。
博士が「ジャーナル・オブ」誌史上最高額の懸賞金を獲得したのを祝うため、「私」と息子の「ルート」は懸命になって江夏のグローブの切れ端が貼り込まれたベースボールカードを探し、とうとう見つける。博士のコレクションにベースボールカードがあって、カードは箱のなかできちんとポジション別に分類されているのだが、これとは別に「江夏」だけ特別扱いで独立しているのだ。ベースボールカードに関するマニアックな叙述は、多かれ少なかれ蒐集趣味を持つ男たちの関心をも満足させる。
読み終えたあと、映画「博士の愛した数式」を観たくなったのは言うまでもない。さっそくレンタルショップから借りてくる。わたしは、映画が成功する(原作の面白さを活かしているという意味)ためには、上の江夏に関するマニアックな部分に加え、こんな博士の日常生活の細部がうまく演出されなければならないだろうと考えた。

「よしよし」
 いつものとおり、博士はルートの頭を撫で回した。それから、
「あっ、いけない。大事な約束だから、忘れないようにちゃんと書いておこう」
 と言って、メモ用紙を一枚ちぎり、鉛筆で要点を書き込み、背広の衿のわずかな隙間にクリップで留めた。
 普段の生活で見せる不器用ぶりとは比べものにならない、慣れた仕草だった。熟練した手つきと言ってもいいくらいだった。新しいメモはすぐさま、他の数々のメモたちの中に溶け込んだ。(77-78頁)
博士が忘れてならない事項をメモ用紙に書き込んで背広にクリップで留める「熟練した手つき」と、そんなメモが背広のいたるところに付けられているたたずまい。これがポイントだろう、と。
博士の愛した数式 [DVD]そして映画を観ると、寺尾聰の手つきは申し分ない。でもメモ用紙の数がイメージより少なく、物足りない気がする。
さらに、原作と大きな違いは、博士の物語が、大人になって数学教師になったルート(吉岡秀隆)の思い出話という枠のなかで語られるという点と、江夏の存在が相対的に小さくなっている代わりに、兄嫁の存在が大きくなっていること。とりわけ後者は残念な改変だ。川本さんも次のように映画を評している。
この映画で唯一引っかかったのは、寺尾聰演じる博士と浅丘ルリ子演じる義姉のあいだに恋愛があったことを暗示させていること(原作はそこまで踏み込んでいない)。浅丘ルリ子という大物女優を起用したための配慮かと思うが、せっかくの「数学語」の世界に、よくある生臭い「現実語」の恋愛が入りこんでしまったのは惜しまれる。(「「博士の愛した数式」の家政婦のことなど」)
まったく同感。けれども、映画のなかで、深津絵里が若い頃の寺尾と浅丘が二人で写っている写真を見る場面で、あの日活映画のなかでのキュートな浅丘ルリ子の姿を大写ししてくれたならば、「ああ、この女の子なら誰だって(義弟だって)惚れるよな」と納得させられたかもしれない。
川本さんの本のタイトルを借りて、「映画を見ればわかること」、それは「博士の愛した数式」で言うなら、原作の素晴らしさだった。