すぐれた書評本の条件

鹿島茂の書評大全和物篇

例によって大学生協書籍部は買いたい本を入れてくれない。しかも本郷店にはなく、駒場店だけに入っているのも癪だ。ただ、目当ての本が一割引で買わねばならないほど高価で手が出ないというわけではなく、それが鹿島茂さんの本であることが救われた。鹿島茂の書評大全』和物篇*1・洋物篇*2毎日新聞社)2冊のことである。
所用があって神保町に出た日、東京堂書店に立ち寄って、署名本を入手する。定価各2381円。一割引分の差額が署名だと思えば、十分おつりがくる。
鹿島茂の書評大全 洋物篇いまこれを書くため東京堂でかけてもらったブックカバーを外し、2冊を並べてみて気づいた。和物篇はカバー・表紙・扉などにある書名・著者名が縦書きなのに対し、洋物篇はちゃんと横書きになっている。色違いだけではないのだ。
鹿島さんが1998年以降、レギュラー書評者となっている『毎日新聞』『東京人』をはじめ、一時期書評を連載していた『芸術新潮』などに寄稿された書評を、日本について書いたもの、欧米の本の訳書や外国文学関係、外国人の評伝などについて書いたもの各100篇を選んで編まれた大部の書評集である。
洋物篇の「あとがき」によれば、1998年以前の書評は『歴史の風 書物の帆』『暇がないから読書ができる』二著に収められているという。筑摩書房から出た角背の『歴史の風 書物の帆』から刺激を受けた昔を思い出す。
それぞれ二段組みで300頁を超える大部の本であるにもかかわらず、ページをめくる指が止まらなくなり、二冊一気に読みとおした。それだけ鹿島さんの書評は読ませる。
いや、読ませるだけでない。取り上げられた本を読みたくなる。いや、対象の本を読みたくなるばかりでない。読んでいる者の思考も活性化してくれる。あれやこれやのアナロジーを駆使して、また批評精神横溢の文章を読んでいて、まったくかけ離れた研究をやっているのに、ある日の明け方、急に自分のいま考えていることについて着想が生まれ、あわててPCに向かうことになったのだから。
わたしは批評というものが苦手で、はっきり言えば好きではないのだが、それであっても批評精神を持つことは大事であると、本書を読んで痛感した。
こうして和物篇・洋物篇とはっきり分けられた二冊を通して読んでみると、色合いがはっきり異なることにも気づかされる。専門がフランス文学・フランス文化史であるからか、洋物篇のほうが端正で正統的だ。専門研究者が専門に近い本を書評することの要所が踏まえられ、翻訳の善し悪しをはじめ、編集・叙述の長所短所などに気を配って鋭いコメントを付けている。
これに対し和物篇はかなり奔放である。専門外ではあるが、専門外ゆえに可能な、意外性のあるアナロジーや自らの経験を織り込んだ「書評エッセイ」にかぎりなく近い遊び心に満たされている。最近の鹿島さんは、そんな“和物篇的”な執筆活動が目立っているきらいがあったけれど、ところがどっこい、“洋物篇的”鹿島茂も健在であることを思い知らされる。