越境する本たち

幕末インテリジェンス

先日、趣味とはまったく別にとある本*1を読んでいたところ、最近の歴史学では、「情報」というものを考えるとき、その質や量を考慮する段階に至っているという指摘がなされていた。
つまり、たとえば風聞など裏づけがない未分析段階の情報をインフォメーション(information)と呼ぶのに対し、「精査し、裏を取り、周到な分析を加えた情報」を「インテリジェンス」(intelligence)と呼んで区別し、その質的差異に注意しながら史料を読解する段階に入ったというのである。
情報文化史的なテーマに関心がありながら、迂闊にもそんなことはさっぱり知らなかった不勉強なわたしは、たしかにそうした点に注意することで見えてくることは多いだろうと深く感心し、印象に残ったのだった。
このことがなければ、新潮文庫の新刊、白石良夫さんの『幕末インテリジェンス―江戸留守居役日記を読む』*2は素通りしていたに違いない。頭に残っていた「インテリジェンス」という単語が書名になっていたからこそ、手にとってみる気になったのだから。
紹介文から入って中をパラパラめくると、本書の主人公は、あの『学海日録』の依田学海であり、彼は若い頃佐倉藩(堀田家)の江戸留守居役だったのだという。依田学海と言えば、劇作家・演劇評論家といった程度の知識しかなかった。かの『学海日録』が岩波書店から公刊されたとき、初めてその名を知ったはずだ。
公刊当時大学院生だったわたしは、日記好きとて、『学海日録』を購入するかどうかずいぶん迷った記憶がある。復刊された『断腸亭日乗』までは買ったものの、『学海日録』は難しそうで、当時さほど興味がなかった明治時代の頃のものだったことから、購入を断念した。いま思えば買っておけばとも思うが、現今の全集古書価低下のおり、予想以上の安さで手に入れることはできそうだ。
またまた自らの不勉強をさらすことになるが、その依田学海がもともと佐倉藩江戸留守居役という上級武士だったということにまず驚かされたのである。著者の白石さんはどんな方なのかと略歴を見れば、国文学の研究者で現在何かと話題の教科書調査官をなさっているという。中村幸彦中野三敏という近世文学研究の泰斗の門下で、当の『学海日録』翻刻校注にも携わったというから、信頼のおける著者であると確信し、購入、さっそく読んだ。
白石さんが『学海日録』翻刻を担当したのは江戸時代末期の部分であり、その成果が本書に結実したことになる。江戸留守居役とは、江戸に駐在して幕府との縦の関係、他の諸藩との横の関係のなかで情報収集を行なう重要な役職だったという。「インフォメーション」段階の情報を「インテリジェンス」として精度を高め、自藩の利害のため尽くす諜報部員だったわけだ。
しかも学海がこの役職にあったのは、慶応三年(1867)という江戸幕府が終焉を迎える激動の年だった。藩主堀田家は老中も勤める譜代の雄藩であり、尊皇・攘夷・開国・佐幕・倒幕に揺れる武家社会のなかで、藩のため情報収集に奔走する。
留守居役には、諸藩の同じ役職の者同士で集まる組合があった。しかしその会合は現代の社用族よろしく藩のお金で飲み食いして騒ぐだけのもので、留守居役就任当初、同役連中に対する挨拶回りに疲れ果て、愚痴を七言絶句の漢詩に詠んで憂さ晴らしする。
時間を隔てた今だからこそ、客観的に明治維新をふりかえり、佐倉藩は親幕派として徳川慶喜を支えていたと判断できるが、その渦中にいた学海にとって、まず自藩の存続が第一の大事、そのための判断であり行動だから、大局的見地で将来を展望することができようはずがない。『学海日録』は、一日経てば情勢ががらりと変化するような、激動の明治維新を、幕府を支えた一譜代藩の武士の視点から眺めた貴重なドキュメントたりうるのである。
学海は当初、幕府の軍を「官軍」と称し、敵を「賊」「賊徒」と呼んでいた。ところが情勢が幕府不利に傾き、慶喜が退隠の姿勢を示して江戸城を退いて、薩長主導による王政復古がなされると、佐倉藩も新政府側に降り、いつしか新政府軍を官軍と呼ぶようになる。こうした変化は、『学海日録』を丁寧に読み込まなければ気づかない重要なポイントである。
維新元勲たちの華々しい活躍ではなく、一人の幕府側武士から見た裏側の明治維新史を綴るノンフィクションとしてまことに上質であり、人間ひとりひとりの明治維新があることを実感させられる書物だった。
ところで本書の元版はちくま新書だという(1996年)。文庫がたやすく品切絶版になるゆえか、かつて文庫で出された著作が版元を変えて別の文庫で再刊されるといった移籍の例が目立って多くなった。かつては自社単行本→自社文庫という筋道が一般的だった文庫新刊のあり方が多様化している。
最近はそればかりか、本書のように新書と文庫の境界線すらなくなりつつある。かつて新書で出ていた本の文庫化である(逆はないだろう)。かつては新書と文庫、それ相応の棲み分けがあったと思うのだが、もはや新書も発行部数が少なく、初版で品切になる時代、内容さえ良ければ文庫で再生されるようになった。
わたしのように、元版を知らなかったのが、文庫化によって読むきっかけを得たという人も多かろう。その意味では新書の文庫化に異を唱えるものではないが、では新書と文庫の違いは何なのだろうと、あらためて深く考えざるをえないのであった。

*1:藤田達生さんの『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書ISBN:9784062879071

*2:ISBN:9784101328515