ボタ餅の上にボタ餅

気まぐれ美術館

私には、天井に背をつけて、三十分くらいなら、そのまま宙に止っていられるという特殊技能がある。もう長年やったことがないが、その気になればいまもやれるだろう。
「ある超能力者の告白」とでも名づけたくなる一節だが、こんな奇想天外な一文から書き出されるのが、洲之内徹『気まぐれ美術館』*1新潮文庫)に収められた一篇「続深川大工町」である。
では洲之内さんが超能力者かというと、そういうことではない。二つの壁が170センチくらいで向き合っている狭い空間に両手と両足を突っ張って少しずつ上に登り、体を常に水平状態に保つことに気をつけながら天井までたどりつき、「アーチの原理」でしばらく天井に背をつけたままじっとしているという按配。
「掌と足の裏の高さを常に水平に保」たなければ「とたんに躰が落下する」というあやうい緊張関係にしばらく身をゆだねながら、無事その関門をくぐり抜けると、その先には有象無象が蠢く下界を上から眺められるという愉楽が待ちかまえている。
総じて『気まぐれ美術館』はそんな視点から人間世界を眺めた随想がつまっているということになるのか。しかも洲之内さんがその「特技」を習得したのは警察の留置場だというから面白い。
『気まぐれ美術館』を再読したのである。最初に読んだ記録を探してみると、2003年のことであった。このときは驚くべきことに読み通すまで6月から9月という足かけ四ヶ月を要している(→2003/6/25条2003/9/3条)。
今回はそれほどでないにしても、たしかに『気まぐれ美術館』には、速読を許さないように、文字を追う目を遅らせ、読書の歩みを澱ませ、そのために文章から離れて読者の思考を活性化させるような不思議な力があるのかもしれない。
先週仕事で初めて丹波に出張した。むかしの丹波国。いま丹波国京都府兵庫県に分かれているが、兵庫のほう。文字どおり丹波市という自治体名だが、これは合併しての名前。かつては氷上とか柏原(かいばら)と称していた。大阪から福知山線に乗って宝塚などを経由し、山々に囲まれた小盆地が点在する地域である。
忙しさに取り紛れ自分を見失っているような心持ちだったので、落ち着いて、自分と向き合える本がないかと選んだのが、『気まぐれ美術館』だった。もっとも旅先では、一緒に持っていった別の本に気を取られ、『気まぐれ美術館』のほうはほとんど捗らなかったが、鞄の中にあるというだけで安心できる。
そのまま電車本にして一週間以上。いちおうその後『さらば気まぐれ美術館』まで、シリーズをひととおり読み終えていっぱしのファンになったつもりでいたから、どんどん読み進めるかと思いきや、意外に捗らない。一篇読んでは本を閉じ、物思いにふける。捗らないものの、読んでいる間は忘我の心地になるから、心を落ち着けたいという目的は叶ったのである。
好きな本はできるだけ長い時間読んでいたい。読んでいないときにも、その本を読んだことで浮かんでくるいろいろなことを頭の中で転がして愉しみたい。『気まぐれ美術館』はまさしくそんな気持ちにさせられる本だった。
標題の「ボタ餅の上にボタ餅」というのは、「あとがき、ということではなく」と題されたあとがきのなかで、洲之内さんが評論家の佐々木静一氏から怒って言われたという評である。脱線につぐ脱線で、絵をめぐる核心の話がいつまでたっても出てこない。
実は『気まぐれ美術館』はそれが面白いのであって、最初に食べようとしていたボタ餅が最後にはどこにあるかわからなくなっているほど、ボタ餅が積み重なっている文章こそ、このエッセイの売りなのだと思う。
そんなボタ餅の積み重なりのなかに、
言葉というものは思考に密着し、過不足なく思考の作用に役立っているとき、本当に言葉になるのだということがよく解る。(117頁)
とか、
しかし、一枚の作品が持つ時代性とは、ほんとうは、人物の顔が大正の顔であるとか、着物の縞がどうとかいうことではなくて、絵を描くということにそんなふうに全身で入りこむことのできた時代、画家にそれを許した時代が、その作品を証しとしてそこにあるという、そういうことではないか。(237頁)
といったきらりと光る一節を見つけると嬉しくなるのである。