学魔高山宏から刺激を受ける

超人高山宏のつくりかた

東京都立大学石原都知事の肝いりで「首都大学東京」に再編されてゆく過程で、学内の不協和音が耳に入ってくるにつけ、もっとも気がかりだったのは、高山宏さんの去就だった。わたしにとって都立大といえば、英文学の高山宏さん、だったからである。
でもそのまま首都大学東京教授として新設の学科の「目玉」のような立場で残ることを知り、勝手な言い分で恐縮だが、ちょっと残念だった。高山さんは意外に体制的なのだな、と短絡してしまったのである。
ところが、今度出た新刊『超人 高山宏のつくりかた』*1NTT出版)を読んで、上のような感想がまさに短絡的でしかないことを知って、そして高山さんが健在なのを知って、胸のすく思いがした。
高山さんは都知事による大学改革や現在の大学のあり方に対し口を極めて非難し、とうとう大学に三行半をつきつけた。

屈辱的な名の下にこれまで残ってきたのは、仲間うちの手には仲々つかなそうな、「表象言語論分野」の設計にはやはりぼくがいないとだめと(うぬぼれて?)思ったためだが、そこにも四年(実質三年)かかわって、あとのメンバーの奮起で生き永らえていけるだろうという見通しを持った今、もはや全体としてはぼくを容れておくに足る器で、この大学はなくなった。首都大学東京の名を冠する名誉教授称号など、何ほどのものか。もらう人にはその理由があろうが、ぼくなら東京都立大学不名誉教授の名の方がまだいただくに値する名である。(93-94頁)
本書は都立大(とあえて書く)を去る決意をした高山さんによる型破りの自叙伝であり、上記のような職場に対する恨み辛みを含め、その場で営まれた高山さんの学の創造が、いつもの高山節で書き連ねられている。
都立大は高山という「至宝」を失うことでどれだけの損失になろうか、といったような、自負に満ちた大言壮語は、高山宏という人を知らない人が読めば目を背け鼻をつまみたくなるような味わい、知らずに食べれば食あたりを起こし当分床に伏せること必定、反面高山さんの文章が好きな人にとっては、これ以上美味で愉快な本はない。
四方田犬彦さんの近著『先生とわたし』*2で強烈な印象が残る(→7/16条)恩師由良君美との関わりから、お決まりの種村季弘澁澤龍彦との出会いなどなど、「超人高山宏」がいかにしてできあがったのか、あらためて知的興奮を味わわされた。
四方田さんの本を読むまで、由良君美篠田一士犬猿の仲だなんて知らなかったから、由良さんの高弟高山さんが篠田さんの牙城である都立大英文学科に乗り込んだことで起こった悶着を述べたくだり(「14 愛憎文庫」など)は、すこぶる緊張感に富み、それでいて最後にはほろりとさせられる、本書の白眉である。
篠田さんは由良さんの弟子たる高山さんを徹底的に避け、新人歓迎といった半公式の場を除き酒席をともにしたことがなく、そればかりか一度しか口を交わさなかったというから壮絶だ。その口を交わした場面というのも、「今度四年目だから、君、助教授だ」「お断りします。力ありません」だそうだから、開いた口がふさがらない。
それでいて、高山さんを採用するときの教授会で篠田さんは反対しなかった、実は彼は高山さんの本をちゃんと読んでいるんだと先輩の教員から慰められたり、篠田さんが構築した英文学科の書庫にいたく感心し、「異端でありながら正統中の正統という誇り高いライブラリー」と高く評価して、徹底的に使いこなしたり、篠田さんの急逝後未亡人から連絡を受け、生前故人はあなたの噂ばかりしていたから、形見分けに蔵書を何なりとお持ち下さいと言われたラストの挿話まで、学者の交流のピュアな部分を目の当たりにする。
「悲喜哀感―あとがきにかえて」のなかで、「一九八〇年代後半、バブル絶頂期に自分の活動のピークが重なったこと」「時の運」として感謝する高山さんだが、わたしはそういうときに「自分の知的好奇心のピークが重なった」こともあり、いまでも高山さんの本が書棚に並んでいる。
ただ現在ではその奔流のような知に食傷気味とあって、著書群は、前にある文庫本などを取り除けなければ目に入らない書棚の奥まった場所に遠ざけられている。これらを久しぶりに眺めてみる。と、『テクスト世紀末』『終末のオルガノン』『痙攣する地獄』『アリス狩り』『目の中の劇場』『庭の綺想学』『世紀末異貌』『黒に染める』『ガラスのような幸福』『綺想の饗宴』『ふたつの世紀末』『ブック・カーニヴァル』…。
これらは主として90年代前半に刊行されたもので、十分読みこなしたとはいえない本ばかりだが、このなかで印象に残っているのは、『is』連載をまとめた『テクスト世紀末』*3(ポーラ文化研究所、1992年)と、高山さん自身も偏愛する(10頁)エッセイ集『ガラスのような幸福』*4(五柳書院、1994年)だ。喫煙者だった当時に購った本ゆえ、小口が黄ばんでいるのが痛ましい。
情報としての「知」を断片のまま処理するのではなく、それらを編集、総合しながらひとつの「学」として生成してゆこうとする高山さんの気概にあふれた知的営為がいまなお衰えていないことに、学問に携わる人間として尊敬をおぼえ、はや「学」生成の根気が失せつつあるわが身をかえりみ恥ずかしく思う。
この三十年、学知に生じた大変化のひとつがヒストリオグラフィーの根本問題である。歴史とは何か、それに形を与えたはずの歴史学、歴史記述とは何か、(ヒ)ストリー、イストワール、イストリアが、「歴史」と「物語」に両またがりする危うい漂遊概念だという議論と、蜿々どこかの荘園の面積や一揆の参加農民の統計学を続けていく営みとが「歴史学」の中で今どこでどう繋がっているのか。別に『チーズとうじ虫』の名すら知らなくても、荘園や一揆の細かい社会学で、歴史学の課程博士のPh.Dがとれていく。(55-56頁)
こんな強烈な皮肉を読むと、闘志が沸き、ゆるんだ褌を締め直そうという気分になる。いまこのとき、読んで良かったと思える本だった。