ドーダの罠

ドーダの近代史

鹿島茂さんの新著『ドーダの近代史』*1朝日新聞社)の感想は、次のような挿話から書き出そうと考えていた。すなわち…
…本書を書店で初めて見たのは神保町の東京堂書店だった。「とうとう『ドーダ〜』が出たか。明日にでも書籍部で買おうっと」。ほくそ笑みながら東京堂を出、所用があった場所に向かうためすずらん通りから横丁に入ったところ、正面から当の鹿島さんがこちらに歩いてくるではないか。
鹿島さんは例によって黒ずくめ。著書が出たことを確認した直後当の著者と会うなんて…、東京堂で買っていれば、思わずサインを求め本を差し出してしまったかもしぬ…でも自分のような性格ではそんなことはできないか…、数秒のうちにそんなことが頭をよぎり、ひそかにこの偶然に興奮しながら鹿島さんに視線を送っていたら、ジロリと睨みかえされた。
すれ違ってから後ろをふりかえると、ちょうど携帯電話がかかってきたらしく、電話を受けた鹿島さんは近くにあったビルに入っていった。道端で電話の受け答えをすることを避け、わざわざビルに入って話していたのだろうか。かえって道端のほうがよかろうに…。
著書刊行確認直後に著者に会った、しかもファンである鹿島さんという偶然を、読書感想にかこつけて報告したかったのである。
さて『ドーダの近代史』を読み進めていたら、最後の一章「内ドーダの誕生」の冒頭でこんな文章に出くわし、思わず笑ってしまった。

なかには、「知り合いの知り合い」だけでドーダする手合いもいるし、今日(昨日、去年、十年前)偶然、神田の本屋で(新幹線で、成田空港で、パリのオルセー美術館で)目撃したというにすぎない「目撃ドーダ」もある。(345頁)
心中見透かされたと言うしかない。まさに上の挿話などは鹿島さんの「目撃ドーダ」にほかならないわけだが、逆に言えばドーダのことについて書くのに、これほど格好の前ふりはないだろう。よくよく考えれば、わたしの「知り合いの知り合い」が鹿島さんというつながりもあるので、この直前に鹿島さんが規定した「知り合いドーダ」でもある(と自慢する「手合い」がわたし)。かくして読んだはなからドーダ理論にがんじがらめになっている始末。
このようなドーダ理論の伝染性は、鹿島さんも憑依現象という言葉を使って指摘している。
その憑依現象は、どうやら伝染性がありそうなので、たまたま本書を手にされた読者がいらしたら注意していただきたい。以後の人生において、なにか一つことを成すたびに、「これもまたドーダではないか?」と、自分の表現行為をいちいちドーダ理論カタログに照らしてチェックするほかなくなってしまうかも知れないからだ。(「あとがき」)
すでに述べたように、わたしはすでになかば憑依されてしまっており、何かにつけドーダ理論で自分や他人の行為を理解する癖がしばらく抜けないだろう。この文章を書くのだってドーダなんだろうし、でも目立ちたくないというひねくれ根性は、結局鹿島さん言うところの「陰ドーダ」なのだろうな、などなど。
さてここまで説明なしで使ってきた「ドーダ」だが、これはもともと東海林さだおさんが提起した概念規定で、「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう、ドーダ、マイッタカ」という自慢や自己愛の表現を指す。自慢はもっともわかりやすい陽のドーダであり、謙遜、慎みも結局「自分はこんなに慎み深いのです」という自己表現なので、陰のドーダになるというもの。
鹿島さんは、ドーダを次のように規定し、この理論を援用して幕末以後の日本近代史を読み解こうとしたのが、本書『ドーダの近代史』である。
定義 ドーダとは、自己愛に源を発するすべての表現行為である。(7頁)
主として本書で取り上げられる人間は、藤田東湖(水戸学)、高杉晋作西郷隆盛中江兆民頭山満の5人。幕末から昭和に生きた5人のドーダの中味を検討し、彼らのドーダが日本の近代という時代の流れとどのように接点を持って、時代をどのように動かしていったのかがダイナミックに論じられる。
このなかでもっとも面白く、説得力があるのは、やはり西郷隆盛であろう。大人物と言われる西郷の人間性をドーダ学的に分析し、歴史の表面では語られてこなかった西郷という人物の意外な裏側に迫る。また、西郷が太平洋戦争時の日本にまで影響を及ぼしていたという壮大な推論を提起する。
「日本の歴史上、西郷ほど自己中心的な人間はいないと断言していい」というくだりなど、西郷どん信奉者が読んだら怒りがおさまらないかもしれない。
本書が面白いのはここまでで、中江兆民頭山満となると、正面切ってのドーダ学的分析からずれてしまう。とりわけ中江兆民の場合、精緻な思想分析が行なわれるのだが、すっきり理解できない。
でもここでの中江兆民論でユニークなのは、兆民がフランス留学時、いかにしてフランス語を学んだのかという点を、数少ない史料を手がかりに、当時の学校制度、教育制度の実態と重ね合わせ推論した部分にある。これは『パリでひとりぼっち』(→2006/12/24条)で、20世紀初頭のパリにおける教育制度を、小説のかたちをかりて細かく再現した鹿島さんならではの仕事で、とても面白い。
ことほどさように「ドーダ理論」は人間中心、人間の営みの分析が土台にあるから、ドーダ理論をうまく使うことで、人間が見えないと批判されがちな歴史(叙述)が活性化する可能性がある。
でもやっぱり歴史を何でもかんでもドーダ理論で分析することには限界があるだろうなとも思う。鹿島さんが分析の対象として近代史を選んだように、前近代史が対象では多少使いにくいような気がする。自己愛、それにもとづく表現行為は人間あるかぎり普遍的かもしれないが、時代が遡るほどそれらが「ドーダ」として受け入れる素地がないような気がするからだ。
ドーダが求めるような虚栄心で自己を満足させるという行為は、近代の産物のように思える。ドーダをドーダとして受けとめる考え方が前近代にはあったのかどうか。ある人間が自己愛からドーダしても、それを受けとめる「被ドーダ」者がいなければドーダも成り立つまい。
でも、たとえば後醍醐天皇は陽ドーダであり、足利尊氏は陰ドーダだとあてはめてしまうと妙にはまってしまうから、こんな心配は無用なのかもしれない。