はじめての神保町シアター

「秋立ちぬ」(1960年、東宝)※二度目
製作・監督成瀬巳喜男/脚本笠原良三/大沢健三郎/一木双葉/乙羽信子夏木陽介原知佐子加東大介河津清三郎藤原釜足賀原夏子菅井きん藤間紫

職場から歩いて行くことができる場所に「名画座」が新しくできて嬉しい。ついこの間神保町すずらん通りから少し入った場所に開館した「神保町シアター」である。近くに社屋のある小学館に加え、吉本興業が出資して建てられた建物で、むしろ併設された吉本の劇場「神保町花月」のほうが話題的には大きなものだろう。
神保町シアターでは、レイトショーとして毎日一本名画座的な企画を立て、上映するということで、たいへんありがたい。しかもこけら落とし後のレイトショー第一弾が、川本三郎さんが編んだ『映画の昭和雑貨店』(小学館)シリーズにちなみ、川本さんが企画した「こどもたちのいた風景」というのだから、喜びもひとしおである。今後も『映画の昭和雑貨店』発で、テーマ別に編んだ特集を組んでほしいものである。
レイトショー入場料金は大人1200円。他の名画座にくらべ多少高めだが、会員のようなシステムを導入して年会費を払い、会員料金を設定してくれるとありがたい。窓口で買ったチケットには整理番号が付いており、入場のさいにはその番号順に並ぶ。朝から当日分が発売されるというから、早めの整理番号で入場したいときには、朝買っておくということも可能なわけだ。これだと入場のさいに割り込まれたとか、席とりなどに対するストレスは発生しにくいだろう。
さて初めて神保町シアターで観る映画として選んだのは、再見になるが成瀬巳喜男監督の佳品「秋立ちぬ」である。父を亡くし、信州の田舎から母親と一緒に東京銀座に出てきた男の子が経験するちょっぴり淋しくてほろ苦い夏休みの物語。
すでに初見のおり感想を書いたので(→2005/9/6条)、それに付け加えることはないのだが、劇的な結末があるわけでもなく、田舎から出てきた一人の男の子のひと夏という時間と空間をすっぱりと切り取ってさらりと淡く一筆書きで描いたという体の、観終えたあと涼風が吹き抜けるような気分にさせられるいい映画であった。
初見のおりは、『銀幕の東京』的視点でこの作品に注目したわけだが、今回はやはり「こどもたちのいた風景」というテーマでの上映ということで、映画に捉えられた子供の姿というところに目がいく。主人公秀男(大沢健三郎)と仲良くなる旅館の娘順子(一木双葉)は、母親藤間紫河津清三郎の二号さんである。
小学四年生の一木双葉は、自分が二号さんの子という立場を深く理解しておらず(当たり前だ)、大沢に対し父親には大阪に本宅があるのよと屈託なく説明する。無邪気な子供の口から本宅などという「大人の世界」の言葉が出てくるギャップに、場内から笑いが漏れる。初見はDVDで鑑賞したが、こうした空間のなかに身を置くと、一人で観ているときには味わえない観方ができるから愉しい。
再見の今回、もっとも印象に残ったのは、大沢が身を寄せる伯父藤原釜足のたたずまいだった。大沢の母乙羽信子の実兄という関係で、代々銀座(新富町?)で八百屋を営んでいる。息子の夏木陽介からは、早く土地を売って郊外で大きなスーパーをやったほうがいいと意見されるが、代々ここで商売をしてきたのだからと耳を貸さない。
冒頭乙羽・大沢母子が藤原の店を訪れたとき、店にはおかみさんの賀原夏子夏木陽介が出ていて、奥で藤原が食事をしていた。片膝立てて茶漬けだか湯漬けをさらさらとかき込んでいる風情が、何とも粋に見える。朝から市場に出かけて仕入れをし、ひと仕事終えて食事しているという雰囲気。あとのほうでも、片膝立てて晩酌しているシーンがあったように記憶している。
さて、二人がやってきて、藤原は甥っ子のため「アイスクリームでもとってやれ」と賀原に言うが、賀原は、スイカの冷えたのならあるよと答える。これに対して「またローズモンだろう」と苦い顔をする藤原。聞いていた乙羽も居たたまれないような表情になる。
前回は気づかなかったが、今回この「ローズモン」という耳慣れない言葉がひどく印象に残ったので、帰ったあと調べてみた。するとたしかに聞き違いではなく、「ろうず(もの)」という言葉があるのだった。
日本国語大辞典 第二版』によれば、(「ろず(蘆頭)」の変化した語か」)「傷がつくなどして売物とならない商品。保管中に生ずる商品の損害。転じて、役に立たない者などをいう。ろうずもの。」とある。柳多留・洒落本・歌舞伎台本が用例にあげられているから、江戸時代に発生した言い方なのだろう。わたしは初めて耳にした言葉だ。要は店に出すような売物にはならない傷物ということ。
語源と推定されている蘆頭のほうは、「薬用の植物の根や茎で、薬用にならない部分」とあり、戦国時代の辞書が用例にあるので、やはりこちらが古いことになる。すでにこの映画のこの言葉に注目している方もいらした*1
そうでありながら、大沢の田舎のおばあちゃん(父方の祖母ということか)から送られてきたリンゴを手にし、傷がないやつは店に出せるなとつぶやくところなどちゃっかりしているし(ここも場内笑い)、大沢と一木が二人だけで東雲の海まで遠出をして失踪騒ぎの警察沙汰になったときも、店の前まで大沢を乗せたパトカーが乗りつけたのに慌て、野次馬に集まってきた近所の人たちに対し、何でもないからと追い払おうとする。
そのあと帰ってきた大沢に対し、「うちはここ三代警察のお世話になったものはいないんだ」とポカリと殴りつける。このように世間体を気にする性格など、ここまで述べてきた言い回しや振る舞いかたすべてをひっくるめて、東京っ子おやじの典型的な姿なのに違いない。
この映画の藤原釜足は徹頭徹尾素晴らしいのである。