福助の愛敬

新版歌祭文 野崎村

野崎村の百姓久作の娘お光(福助)は、奉公先の商家から帰っていた養子の久松(松江)と近々祝言をあげるということで、そわそわしながら暮らしている。鏡の前に座って髪の毛を直しているとき、眉を剃り落とした顔をやってみて、一人「恥ずかしー」と照れる場面など、愛敬があっていじましい。
そこに久松が愛し合っていた奉公先の娘お染(芝のぶ)が訪ねてくる。咄嗟に恋敵だと悟ってお染に意地悪をするお光の姿にすら愛敬がただよう。
結局、お染と久松が心中する決意を抱くほど愛し合った仲であることを知ったお光は、自ら髪を切って二人を結びつけようとする。好きな人が幸せになるのなら、甘んじて身を引くなんて、何だか現代の純愛ドラマのようだなあと思ってしまった。そういう純愛劇が近松半二の浄瑠璃のなかにすでにあったなんて、驚いてしまう。
恒例の子供と楽しむ鑑賞教室で、もうすぐ4歳になる次男が歌舞伎初観劇。後半眠ってしまったが、また来年も行きたいと言う。この「野崎村」は、成駒屋の「家の藝」とされており、福助は今回が初演なのだそうだ。
長男にも言えるが、将来福助が七代目歌右衛門になって歌舞伎界を代表する女形になったとき、「俺たちは、歌右衛門がまだ福助を名乗っていた時、いまでは当たり役になっているお光を演じた「野崎村」の初演を観たのだ」と思えるようになればいいな。